読書してみて考えた⑯「つれづれノート㊵魂のままに生きれば、今日やることは今日わかる」

2021年10月初版だから私は1年前くらいに読んだ。銀色さんは東京から宮崎へ引っ越し、そして子育て卒業。2021年2月~7月の記録。

1 2021年2月
2月2日節分(2日は124年ぶり)、とのこと。そういえばそんなことあったなあ。
2月末で著者行きつけのスーパーが閉店し涙と書いてある。テーマソングが気になりネットで調べてしまった。おそらく恵比寿三越、テーマソングはヒャダインさん(推定)。
2021年2月といえば私のnoteデビュー。前月に友人の死を知り、とはいえコロナ禍で人と会うこともままならず、ふとnoteに書いて吐き出そうと思い立った、私の2年前の記憶。

2 2021年3月
著者は7~9日富山へ旅行、いいなあ。北陸新幹線が開業して金沢ばかりが話題だけれど あまのじゃくな私はあえて「富山」か「福井」の旅を希望。
私は中旬、年に一度の女医温泉旅行、湯河原のリゾートトラスト。父親が認知症でホームに入り家族で行けなくなったという友人に予約してもらって、女4人広いリビングでソーシャルディスタンスマスク雑談だった。大浴場も「黙浴」。私は友人の死もあり、年明けてからほぼ引きこもり、家族以外の人と食事するのは実に4ヶ月半振りだった。
11日「起きがけに考えていたことは、引っ越ししたら心のまま、魂のままに生きよう、ということ。今まででいちばんそうできる環境になる。」
17日「世間的成功と個人的成功は違う(中略)私はやめたいときにやめられないのがいちばん苦しい。やめたいと思ったら、すぐにやめたい。それも、その時にだれかに迷惑をかけたり、悲しませたりしないでサッと。だからいつもひとりでやることが好きだったし、人にお金を出してもらわないのが好きだった。」そうそう、私が実家のクリニックを継げないのも 現在日給の仕事だけなのも同じ理由。
26日金曜日、引っ越し。午後2時息子さん(サク)が家を出ていく。私もいよいよあと僅かで息子が家を出るから、今読み返しても胸が苦しくなる。私が望んだ子離れなのに いざとなるとやっぱり寂しい。
著者は引っ越しの夜、飛行機で宮崎へ。

3 2021年4月
1日「サクが就職してひとり立ち。これで親の役目は卒業。なんだかしみじみ。」
7日 耐火金庫をメルカリで売ろうと「取りに来てくださる方」と出品したらすぐに売れ、おじさんが引き取りに来てくれて「ほっこりしたすごくいい気持ちになった」と書いてある。私は新品が売れないと経済が回らないような気がするのと 運送業者さんの過酷さが思いやられて、メルカリはやらないのだけれど、こういう昔ながらの「譲ります」的な、タウン誌の片隅にあったようなヤツはお互いウインウインなんだな、と思う。
14日大阪の陽性者が1000人を超えて大変そうな様子。18日朝、「ひとりの心の旅に出る」と閃いて起きる。22日尾身さん…、いつも困り顔。
2021年4月は父が倒れ(おそらく脳梗塞)、家族4人車で11時間かけて(東名厚木が事故通行止め)実家に駆けつけた。翌朝自分で立ち上がることすらままならなくなった父が、寝室でひとり背中を丸めて菓子パンを食べているのをみたら泣けてきた。軍事教育に逆らい、医師になり60年以上働き続けた92歳の背中、誇りに思いたいのに何故か無性に悲しかった。

4   2021年5月
1日「庭を歩きながらわかった。今日やるべきことは今日わかる。今やるべきことは今わかる。」16日「ヨッシーさんは白鳥の田の神さあをとってきました、と写真を見せてくれた。」私の母が「たのがみさま(私の地元では濁る)」が荒れ果てて誰も掃除しないと嘆いていたことを思い出す。
20日「noteで有料音声ブログを始めて1年半がたち、やっと慣れてきた気がする。話していて落ち着く。」
2020年に続き21年も感染者が増えて、帰省を断念したGW。そうだ、こんな時こそアルペンルートだ!外国人観光客もいないからすいているかも、と思い立ち、名古屋朝イチのしなの号で松本~大糸線と乗り継ぎ、室堂までの往復なら最終で下山できそう。室堂は猛吹雪、黒部ダムはみぞれ模様だった。大町温泉の黒部ビューホテルで1泊、お湯も料理も大満足。ただ脳梗塞後のせん妄だったか、父の様子がおかしいと連日の母からの電話で、私は気が気じゃなかった。そうだ、あの時の私は、その春に退職した上司の患者さんを4~6月にかけ引き継いでいて、とても実家にすぐ戻れる状況ではなく、板挟みでなんだか苦しかった。

5   2021年6月
2日えびの高原ハイキング~新湯温泉。羨ましい。空港が近く便利なこともあり、私はこの15年で霧島温泉を4回訪問している。昨年春久しぶり(7年?)に行ったけど、温泉街よりだいぶ手前のキャスルホテルだったけど、道路沿いの観光施設やお店は営業自粛なのか潰れてしまったのか、なんだか寂しい感じだった。でもSDGSだしな、派手な観光施設はもう時代遅れなんだと思う。霧島には自然と温泉と美味しいものが沢山ある。流行り?じゃないからこそゆっくりできて、人の感じも優しい(九州全般に言える)。いっそのこと寂しい感じを売りにして欲しいくらい。国立公園なんだし。
6日朝、著者は畑に行き、ナスの苗が荒らされていることに気付く、小動物かジャンボタニシか、犯人は…
20日「畑に近づいたら、何と!(中略)鳥がナスの近くからバサバサバサッと飛び立っていった。」銀色さんは「目指せ、自然農」だから、虫や小動物との闘いはまだまだ続きそう。
15日「人づきあいをよくする人としない人のことについて考えた。(中略)私は昔から、人とオープンに交流しない。オープンな人とは仲よくならない(なれない)という姿勢できている。」何となく分かる。一つの病院で長く外来をすると、「センセ、住所教えてくれたら○✕を送りますよ」なんてことが度々。有難い事だってことは重々承知、特にコロナ前。私は決まって「嫁にきた立場なので…」と断ってきたが、ホントのところは銀色さんと同じ理由。「いったん人づきあいをよくしてしまうと、人づきあいのいい人の知り合いが参加してきて、限りなく知り合いが増えていってしまうのだ。」子持ちになった30代半ば辺りからふと、もう新しい交流はしんどいかも、と思うようになった私だから共感してしまう。
6月は梅雨だから雨の日が多く著者は内向的、それが私には落ち着く。うまく言えないが例えば同じ配信でもyoutubeよりもnoteが落ち着く感じ?

6  2021年7月
4日「熱海の伊豆山の土石流。」しばらくの間新幹線が徐行していたことを思い出す。
10日「川内川の下流があふれそう。大雨特別警報も発令された。」
13日甑岳~温泉へ。羨ましい。16日スズメバチ駆除。22日庭でアナグマに遭遇。23日オリンピック開会式。
27日「サーフィンの五十嵐カノア選手、スケートボードの堀米選手、どちらも感じがいい。」に同感。
私の7月は看護学校の講義。2021年で辞めさせていただいたから最後の年。たった週1×4回だけど、準備~小テスト~試験問題作成と、慣れない私にはまあまあ時間のかかる作業だった。2017年から5年間。本当は自分で後継者を見つけて辞めたかった。けれど、私は転居組(母校は東京、前任地は東北)、その上この数年は引きこもり主婦の身、数人の整形外科医に断られたところでゲームオーバーだった。専門学校の先生方には申し訳なかったけど、2021年で最後にして良かったと思う。4月に父の具合が悪くなり、7月には母は老老介護の限界、近くに住む兄(つれづれではセッセ?)まですっかり疲れ果てていたのだった。私は遠方ゆえ罪悪感にどっぶり。振り返れば5~7月は父親、引き継ぎ(外来)、講義、の三重苦だったと思う。

7最後に
つれづれ39について投稿したのが昨年8月。40は著者の息子さんとの別れ、以下抜粋。
玄関のドアのところで「じゃあね」と手を振る。
閉まりかけるドアのすき間にサクの顔。すき間が閉まる、閉まる。
「がんばってね!」
「うん、がんばる」
…閉まった。
私にはこの…が苦しくて。2023年春に私は同じ状況に耐えられるのだろうかと思うと、なかなか投稿できずにいた。
しかし私の息子も4月12日の大学講義開始までに、とうとう家を出る。中高一貫校の寮に入れる決心もつかず、高校も本人は入寮して私立に行くと言ったのに、いざとなったら寂しくなってしまった(息子は県立に)ヘタレな私。しかし今度こそ、この春こそ、いよいよ本当にお別れ。



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