読書してみて考えた⑫ 「つれづれノート38」

1はじめに
私のnote初投稿は「つれづれ37」について。2021年春のこと。
10~20代に愛読していた銀色夏生との再会。実に四半世紀ぶり。著者が子持ち(バツイチ?)になっていたことよりも、足掛け15年ほど月イチ遠距離帰省している自分と 銀色さんの二拠点生活(宮崎 東京)が重なり 運命すら感じてしまった。そして文中にちりばめられた「ものの考え方」に妙に共感したりして 「この想いを記録しておきたいな」と、一念発起してのnote初投稿だった。
今更ながら、書店で見つけ購入した続編「つれづれ38」について。

2 2020年2月
連日 新型肺炎のニュース、とある。著者は9日~20日まで宮崎。まだ移動制限もなかった頃、懐かしい。私は2日は実家で育ての叔母の三回忌だった。2022年の今、私はあの時の叔母や従姉妹とあの日以来会えていない。
お子さん(カーカ)が大声でゲームしている、アニメ声が気持ち悪い、なんて書いてある。フオートナイトか?あの頃の我が家もひどかった。息子は1日に私立高校に合格し 本命の県立高は3月上旬の予定だった。それでも ずっとゲームをしていた記憶がある。今思い返せば 私も夫もゲーム(ネットの会話)ストレスが蓄積されていたんだと思う。3月末に夫は激昂し、壁に穴をあけてしまったのだから。勿論、当時はコロナという得体の知れないものに対する夫なりの不安もあったのだろう。息子にしてみれば入試が終わって思う存分ゲームがしたかったのだろう、ただし時間が悪すぎた。23時過ぎに友人と会話していたから 父はキレた。我が家はゲームは無制限。ただし睡眠は十分に、早く寝ろ!がモットー。残念ながらそれ以来、夫は子供たちにとって「キレる大人」として認識されてしまったようだ。
27日(木)に3月2日からの休校が決定、そういえばうるう年だったっけ。

3 2020年3月
3日「コロナの対応について、私は日本の政府が私を守ってくれるとは思っていない。国民も意見もそれぞれだから」
11日「遠く引いてみると、このような大規模災害が起こったあとは結果的に社会の構造が大きく変化することになるだろう」と書いてある。私は休校のせいか記憶が大分曖昧。
息子の入試が終わったらオーストラリアに行こうと前年の夏休みは沖縄にしたのに 結局のところ国内旅行も叶わなかった春休み。ハウステンボスのホテル、JALの国内線、キャンセル料なしだった(コロナ対応)けど、とても虚しく、悲しかったおぼえだけはある。
中学卒業式→県立高校入試(大雨の中、息子は自転車で行った)→合格発表。内申点不足だけど本番一発勝負での合格。ありがたや。休校中で暇を持て余した娘と2人で発表を見に行くバスの窓からみた光景が忘れられない。おそらく不合格だった娘さんが父親に肩を抱かれ泣きながら歩いていた。ほとんどが合格する田舎の県立高校入試での不合格、毎年繰り返されることだろうけど、私にはとても耐えられそうもない。
30日「志村けんさんがなくなり緊張感が増す」31日「注意を喚起するためにあえて厳しいことを言う人と、恐怖心をあおってコントロールしようとする人とはまったく違う」とある。春分3連休、帰省の際に上野駅で乗り換えたら、花見客がいっぱいで驚いたし、3月上旬 毎年恒例の女医温泉旅行で伊豆長岡に行った時も こちらは5人が3人になったのに 宿にはまあまあ宿泊客がいた。そう、あの頃、コロナはまだ異国の話だった。

4 2020年4月
7日「安倍総理より緊急事態宣言」8日「スーパームーン」16日「緊急事態宣言、全国に拡大、県をまたぐ移動自粛」とある。著者は8日~5月まで宮崎。
テレビをつけたら 世界のアーティストたちがみんなで歌をうたっていて 苦手、「私は有名人や芸能人は苦手で(中略)本音を話さない人との会話は時間がもったいないと思ってしまう」と書いてある。なんか分かる。私がSNSって虚しいな、と思えてインスタやらない、youtubeみないのも 有名人というよりも自己顕示欲強めの人が苦手だから。先日久々にひとりで新幹線グリーン車に乗ったら 思いのほか居心地が悪かったのもそのせいか。
24日「コロナ生活になって社会習慣が変わり、今まで生きづらいと感じていた人で(ある部分)かえって生きやすくなったと感じる人がいると思う。社交辞令をしなくてよくなったし」、同感。私はコロナ前からすっぴん隠しのマスク常用者だった。人混みも元々苦手だったしな。
息子の入学式は延期続きで休みが取れず、夫(ほぼ仕事なし)が出席するというので安心していた。ところが当日夫から「仕事が入った」と電話がありピンチ。急遽早退して自宅で着替えてバスに乗り 私が高校の体育館に入ると、なんと息子の隣には夫が座っているではないか!夫は私のあとに車で自宅を出たのだった。コロナ対応で1名のみ同席だから私は即帰宅。「メールしたよ」って言われても、あの頃私はガラケーが恥ずかしく人前では使えず・・気が付かなかったのだ。
ちなみに入学式の日、息子は  google classroomやクラスLINEの登録のためスマホをと言われたようで 「もしやうちの子は唯一のスマホ無し新入生では?」と恐ろしくなり 急いで私のタブレットを息子に譲ったのだった。その結果 私はいよいよのスマホデビュー。

5 2020年5月
今となれば何じゃそりゃ?の「オンライン帰省」と言われたGW。春休みがキャンセルになったからGWは青森だ!と計画していたが 気付けばパンデミックで予約すらしていなかった。休校~リモート授業+自宅待機の夫のせいで私はストレスMax、だから連休はドラクエ1・2.3(タブレットで)、食事も作りたくない、だった。しかし我が家前の24時間営業スーパーは連日の大混雑で 家族連れや立ち話おばさんを見かけてはモヤモヤしていた。懐かしい。
6日「すごくうさん臭く見える人々がいる。よく動画で見かける。(略)弁が立つ。カリスマ性もある。頭もよさそう。でも、どうにも嫌い。(略)で、だんだんにわかってくるのは、やはりどんなにいいことを言っていても、嫌な感じ、うさん臭い感じの人には必ず最終的に嫌なところがある。たいがいお金儲けだ。」そうそう、私が動画を見ないのは このタイプの映像に出会いたくないからだ。そういえばあの頃は テレビも新聞も給付金の話(10万円)ばかりだったっけ。
14日「考えてみると、私が一番苦手な(合わない)ところは役所と学校だった。思い出すたびにひゃっとする。もう近づかない。」同感。2022年の今、高校の三者面談を控えた私の気持ちは重い。去年の私は中学でも高校でも担任にキレてしまったしな。
緊急事態宣言は大都市圏以外は14日に解除。私は解除後の混雑が心配で10日にひとり帰省。名古屋駅はがらんとしていて恐ろしいくらい、車両は私ともう一人の計2名でメーテル・哲郎状態だった。あまりの驚きに初ツイートしてしまったほど。常磐線に乗り継ぐと 「道から手を振るから外を見て!」と従妹と友人に言われていたから 車窓から確認。顔は見れるのに直接会えない(東京を経由する私には会いたくないよう)辛さで 私は思わず泣いてしまった。初の緊急事態宣言は、県内に友人のいない私にとって まあまあ苦い思い出になった。

6 2020年6月
1日「今日も川原に行って流木と石を見る」とある。つれづれ38の「1日1個川原にパンを拾いに行く。」という題名は川内川にあるパンのような石のことだったのだ。著者は6日に東京へ、実に2か月ぶり。
11日「なんか流れが変わったような気がする。私の住んでいる世界がこのジムの世界から離れてしまった感じ。(略)宮崎の庭に移行していってるのかもなあ」26日著者は息子さんの就職面接のため京都、30日宮崎へ。
私は5~6月は週1回×4回 看護専門学校の講義をする予定だった。緊急事態で延期になった後 学生さんに感染者が出て再延期。私はどうせほぼ引きこもりだから別にいいのだけど、感染者さんのご家族が 周囲の中傷?で転居されたと数か月後に聞き 胸が苦しくなったのを覚えている。 変人の私には「自粛警察」も「マスク警察」も「他県ナンバー狩り」もとても苦手だった。なんだかその向こう側には昭和初期の「欲しがりません勝つまでは」が見えてしまうのだ。軍国主義に逆らった父(94歳)の娘としては 本当に怖いんだ、同調圧力ってやつが。

7 2020年7月
1日「なんと!水は引いていたけど川原の様子が変わっていた。パンの石がない!」4日 球磨川氾濫、とある。岡山や愛媛の洪水もひどかった。私は5日に50歳に!!
11日「今回のコロナ騒動でほとんどの人がみんな自分の生き方を改めて考えたのではないかと思う。(略)なくなってしまうもの。存続できないもの。その変化を受け入れることができるか」「どういう選択をしても、目の前の景色をそれぞれが受け止めることになる。選んだ人生を生きることとなる。」
私が苦手なのは自分で決めれない人。決めないということは責任も負わないのだろうからずるいのでは?とさえ思う。でも子育てしていて思うのは 子供に決めさせない親(特に幼少期)がこの世に結構いるということ。子供に決めさせる私はネグレクトと疑われているのでは?とさえ思っている。夫からは甘やかしと言われ続けたけれど、ある程度は子供に責任を負わせて厳しくしてきたつもり。ただその結果 子供たちは学校で浮いた存在になり 母は担任にキレてしまう現在だけど。
22日「来年(2021年)3月で、人として生まれて、やるべき課題がほぼ終わる(子育てが終わる)」とある。私は2年半後の娘の高校卒業を一区切りと考えている。銀色さんの昔の言葉「流されないで流れていたい」。そう「河童の川流れ」「ケセラセラ」「マイペンライ(タイ語)」で私もやってきた。私も約20年ぶりの自由が楽しみで仕方がない(夫はいるが・・)。
24日5G戦争が気になると書いてある。「アメリカ君グループに入ったらせいぜい子分だろうけど、中国君グループに入ったら殺される気がする」その通りだ。まさか5Gどころか本当の戦争(ウクライナ)になってしまうなんて。先日の安倍元首相襲撃事件、息子は「5.15事件じゃん」と言っていた。ホント、歴史は繰り返される、にならないことを願うばかり。そしてなんだか胸がザワザワして、最近はEテレばかりみている。「こころの時代~宗教 、人生~」の「シリーズ歎異抄に出会う」の月イチ放送は次回を心待ちにしているほど。

8おまけ
つれづれ38は2020年2~7月の記録。
あの頃の安倍総理と言えば 10万円とアベノマスク。我が家の10万円は子供たちはそれぞれの名義の口座に入金。夫はタブレットを買って残5万円あり。私はというと・・・
あの頃 夫は暇すぎて、買い物しか行くところがなくて イオンの時計屋にベルト交換を申し込み これから引き取りに行くという時だった。
「母ちゃんのブルガリもベルト直してもらいなよ」
車窓に手を振ってくれた二人(従妹と友人)と 独身時代2000年頃にソウルのロッテ免税店で購入したアルミニウム。今となっては当時おいくらだったのかも憶えちゃいない。それを思わず油断して持って行った。オーバーホールが必要だから、メーカーの見積もりが出たら自宅にお電話します、とのことだった。
結果は、およそ7万円なり。
私には「やっぱり止めておきます」と言える勇気はなく アルミニウムは奇麗になって戻ってきた。それが私の10万円。














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