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15年を経て私に戻ってきたもの(前編)

予感はしていた。
29歳で元夫と死別し、どうにかこうにか生きて
今、私の人生にとって大事な何かと
向き合うのだろうということを。


あれから15年も経っているので、どこから振り返ればいいのか正直迷う。
色々ありすぎた、、、
けど、ここ半年の間に起こったことに焦点を当てて書いていく。

なので
その前のストーリーをかい摘んで書いておくと、、
死別後、横浜で一人暮らしを続けた後、38歳で再婚して、40歳で15年勤めた会社を辞めている。

心理学(ビリーフリセット®️)は2年目
アート合宿(deep、強化合宿)に参加
アートグループ展edge!!に出展
今回のストーリーに多大に影響を与えてくれたものたちに感謝をこめて。


私が私をわからなくさせていたもの

それは「罪悪感」だ。
罪悪感が、私の本当の願いや気持ちをわからなくさせていた。
さらに、罪悪感をもっているということすら自分に気づかせない、という巧妙な封印を施して私は生きてきた。

昨年、心理を学んで最初に出てきたのは「無価値感」だった。
小学校から社会人まで、何かで価値を補わないと周りから認められないと思ってひたすら頑張ってきた。(恐怖のエンジンを背負って)
だから、私は「止まる」ということを知らなかった。
死別した時も、規定の休暇(5日間)後すぐに仕事に復帰をしたし、その後も体調を崩して急に休むとかあり得なかった。
裏を返すと、
そうやって忙しくすることで「感じない」をやってきたし、私の脳みそはそれくらい強力に私の体を支配(監理)していた。

その恐怖エンジンを昨年下ろして、6月に出てきたのが「罪悪感」だった。
講座やセッションを受けたり、仲間に聴いてもらったりしながら、すごい速さで封印していた扉が開いていった。

今まで、違う理由で自分に制限をかけていると思っていたことが、全部、罪悪感に紐づいていたと気づいて衝撃だった。
 ↓ ↓ ↓
・助けてほしいと言えない(だって罪人だから)
・愛を受け取れない(だってそんな資格ないから)
・私には何もしてあげられない(だって、だって)
・私はいない方がいい(だってそうでしょ?)

それはもう根拠もなく私に刻まれていたもの。
まさに、ビリーフ(思い込み)。
昔からあった傷が、死別を経験してさらに深くなって、気づくのに15年もかかってしまった。

edge!!展より
「意識の底」

身体に私が戻った

巨大な罪悪感に気づいてから1ヶ月ほど経った7月のある朝、モーニングページを書いている時にふと降りてきた実感があった。

「私の身体は私そのものなんだ!」
「私はずっとここにいた!」
ただ存在しているというシンプルな感覚を初めて得た瞬間だった。
私はノートを書きながら泣いていた。

何を言ってるのか意味がわからない人も多いだろうけれど。。笑
私という器と、私という自我と、それを俯瞰している私が、私の中でいつもあった。
だから、たいてい私の意識は体から抜けていたし、自分を俯瞰しすぎて感情と切り離すということをよくやっていた。

そして、無意識にそれをやるから戻り方もわからないし、そもそも、「戻る」なんてことを知らなかった。
この体感は私にとって革命だった。

今となっては推測だけど・・・
傷つくようなことがある度に、世界との関わり、他人との関わり、自分との関わりを拒絶してそのワザを身につけたのだと思う。

そのワザのおかげで私は「わからない」で済ますことができたのだ。
本当はショックで、傷ついて、心で処理できなかったことを、「わからない」ことにさせるために起こしていた。謂わば自作自演。

私が存在を放棄している間も、ずっと私を生かし続けてくれた身体を、ようやくその時感じることができた。

奥底で無言で耐えていた小さな女の子

身体に戻る感覚を得た次の次の朝、今度は心の奥底にずっといた小さな女の子に私は出会った。

それはビリーフリセット講座の中で立ち会った、デモセッションをノートで振り返っている時だった。

女の子はジーッと固まってこっちを見ていた。
そんな簡単に解放されないで!許しちゃいけない!ずるいよ!幸せになっちゃいけない!置いてかないで!そう叫んでいた。

その子はずっと私の奥底にある「罪悪」という名の沼の中にいた。
沼から出るなんて許されないと思っている。
だから、デモセッションを見ながら、解放されていくクライアントを見て立ち尽くしていた。

その子を迎えに行くんだ!そう思った。
迎えにいくのは、いつも最前線で闘ってきた戦士の私。
無価値感から逃れるために何とか価値を外付けしようと、必死に頑張ってきたもうひとりの私だ。

ひとりにしてごめんね
忘れたフリしてごめんね
苦しみを押し付けてかっこいいところばかり見せようとしてごめんね
ひとりで背負わせてごめんね
手をとって抱きしめた

沼から救い出したその子はとても慈悲深い子だった。
純粋で無垢で美しくまっすぐで真っ白な子だった。
すべてを許し、自ら沼に入った子。
それに気づかず、他人を責めては自分を責め、罪の沼をさらに深くしていってた。

助けてほしいのは自分だった

ずっと「私は誰も助けられない」と思ってきた。
それは元夫を助けられなかったのもそうだし、幼い頃、母(今も健在)を助けられなかったことから来ている。(無力感と罪悪感のダブルパンチだ。)
でも、いつもどこかで「助けなきゃ」と思っていた。

誰かを「助けなきゃ」と外側に意識を向けることで、内側の助けるべき存在を見ないようにしてきたのだ。
「助けなきゃ」いけないのに「助けられない」
このアクセルとブレーキのやり取りも思い返すと相当きつかった。

今回それにようやく終止符を打てた気がした。
誰かを助けたい、という気持ちは、私自身を助けたいという魂からの声だったのだ。

edge!!展プロフィール

さて、ここまで来てもう終わりだと思いたかった。
私ももうお腹いっぱいだ。笑
けど、edge!!はそこで終わらせてくれなかった。

強化合宿以降のストーリーは後編に続く。。


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