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『古今和歌集』から続く日本語が、長い伝統の一角を担う。

江戸しぐさや戦後の伝統が実は違うようで、その意味がすこし迷走している。

解体されずに使われ続ける日本語

日本語というのは古くから使われ続ける言語だ。
「古今和歌集」も、「徒然草」も「日本書紀」も日本語が使われている。

もちろん、そのなかでは今は使われない言葉づかいもあるだろう。翻訳し直さなければ意味がわからない言葉がある。

しかし、それさえも日本語である。
古語という括りのなかでも日本の言葉として通用する。

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。―――徒然草・兼好法師
 春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。―――枕草子・清少納言
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。―――吾輩は猫である・夏目漱石

古い言いかたのなかでも、美しいと思わせるなにかを秘めている。
それは、自然と一体化させて、あるいは別の意味を読ませることができるからである。

「月がきれいですね」

この言葉には、『あなたを愛しています』という言葉がうちに秘められているそうだ。

欧州はラテン語を解体した

しかし、古き伝統を持っているとされる欧州は、実は今の言語はそれぞれ新しく言語を作り替えている。

イタリア語、フランス語、スペイン語、英語。

これらの他にもあるけれど今は割愛しよう。

一連の言語には古くからの言語を一度捨てている。
ラテン語である。
この言語はいま、昔からある言語でありながら捨てられてしまったがために現地の人たちでも学習しないと使えないし、話せないらしい。

今ある言語が根づいてしまって、昔からあるのにすぐには習得できない。

ギリシャ語も昔からある言語だそうだ

トルコとイタリアの間にあるギリシャもまた、今も使っている言葉は日本と同じく伝統が続いている言語である。

アルファベットの羅列でも、形が違うだけで読み書き、話す書くが難解であるが、それも学習すれば昔の書物が読めるということなのだろう。

長い伝統が続く。

伝統という長いときのなかで日本語はずっと続いている。

昔の人がよんだ歌をわたしたちが唄う。

土のうえではなくアスファルトのうえで、木に囲まれつつコンクリートにも囲まれている。

景色が変わっても、その歌も、その心も読むことができる。感じることができる。

芸術のなかに昇華したその言葉は、これからも読まれ続けていくのだろう。

とても、楽しみである。

(写真は、茨城県水戸市の弘道館にて撮影)

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