小池都知事の着物と、普段着使いの着物と。

いま、日本の着物は『ニッチ』な方向で動いているみたいだ。
洋服が定着してからもう何十年とたって、服といったら洋服のようにいわれる。

着物がそれなりに市場があるわりに、それを広げないのはとてももったいないことだと思う。
『型』がどうだとか言うつもりはなく、『着物の価値をわかっているのか』と言われそうだけども、それにしたってもっと着物もカジュアル化できなかったのかな?というところを考えている。

リオのオリンピック閉会式で小池都知事が着ていた着物の帯だけで1000万とか、雨に濡れたらクリーニングがー!!!とか言うの、間違ってないんだけどひとつの側面を強調しているようにみえている。
着物って、そんなに価値の高いものなん?

着物が着物であるために、ひどく狭い業界で生き残っているようにみえている。
装飾華美でお高く作っても、今の若い人には普段使いできないよ。
せいぜい小池さんのように一回きりの『ここぞ』っていう場面でしか、着られない。
成人式とか、七五三とか、入学式とか。そりゃ、一回きりの場面でしか活かせなくなるのも当たり前だわ。
よくて浴衣だけども、あれ夏場だしなぁ。
そんななかで『今の若い人が着物を着ないのは、この価値をわかってないからだ』といわれても、こっちからは『はぁ、そうですか。それはご愁傷さまです』と言われてしまうし。

着やすい生地で作ろうとせず、
手に取られやすい値段で売ろうとせず、
季節に関係のない柄で作ろうとせず、
メンテナンスも容易なように作ろうとしなければ、
売れないよね。

で、生地自体に装飾を施すのが悪いのではなくて、『和と洋の融合』のような例えばレースと合わせやすいようにしたり、ビーズの装飾を施してみたりとできるんだけども、
呉服屋さんはどうしても、『型』を気にするようなのでこういったことは呉服屋さん抜きでやっていかないとダメなのかもしれない。

カジュアルに着ようとすると、自分の感性がモノをいうようだ。

とか、そんなことを思った木曜のお昼時。

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