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【本】『ムーミン谷の冬』を読んで

 『ムーミン谷の夏まつり』を読んでから、『ムーミン谷の冬』を読んだ。これがまた隅々まですごい!

 先週末、小学生の甥っ子が泊っていった。もっと小さい頃はちょくちょく泊めていたのだが、甥っ子は近所に住んでいるので最近はめったに泊まることはなくなっていた。
 甥っ子は小さい頃から、眠る場所のそばに、彼お気に入りの色々を彼の順番で並べてからでないと寝なかった。それはいまだに続いているが、小さい頃よりは融通が利くようになったので、そういうところに流れた年月を感じる。泊ったこの日は予定外の宿泊だったが、彼が常に持ち歩いているリュックがあり、我が家にも彼の好きなぬいぐるみがあるので、そういったものを私が用意した布団の周りに並べていた。その姿を見ながら、トゥーティッキの言葉を思い出していた。

 「居心地がよくなるように、こうしたんだと思うわ。きっと自分のすみかのまわりに、気持ちのいい草むらみたいなものを作ろうとしたのね。安心していられるように」

4章 なぞめいた生きものたち

 トゥーティッキがムーミントロールのご先祖さまがやってのけた家じゅうのもようがえを見た時の言葉である。甥っ子がせっせとブランケットを敷き、ぬいぐるみや本を並べているのは、安心を自分で作ろうとしているんだなあと思いつつ、もう私は眠くて眠くてウトウトとしながら「もー早く寝てよー」と言った。明日も早いのだ。

 『ムーミン谷の冬』を読むと、特にムーミントロールの気持ちに寄り添うと、私は子どもの頃の気持ちを思い出す。たまらなく怖くなったり、ひとりぼっちだと思ったり、気持ちが通じないと思ったり、生まれて初めての嬉しさを感じたり、自分を恥じたり、人を嫌ったり、スリルを知ったり。なぜそう感じるか考えると、ムーミントロールはずっとずっとムーミンママに見守られているからだ。ムーミンママの愛に包み込まれながら、自分自身の内側を見つめ始めるムーミントロールが、自分の子ども時代に重なる。そう思えるのは、子どもの頃が幸せでアラフォーの現在もそれなりに幸せだからなのだろう。子どもの頃に思い描いた幸せとは違うけれども。

「あなたが、お客さんのお世話をちゃんとしてくれたおかげで、私はどこへ行っても、はずかしい思いをしないでいられるわ。それにね、あんまりしきものやら、こまごましたものが、ごちゃごちゃあるより、これぐらいが、家の中の風通しがいいのよ。おそうじだってらくになるしね」

6章 春が来た

 ムーミンママがムーミントロールにかけた言葉だ。冬の間、家族がみんな眠る中、ひとりで家をしっかり守らねばならないと気を張っていたムーミントロールを、ねぎらい称える言葉だ。ムーミンママはムーミントロールが本当に欲しいものを本当に欲しい時にくれる。

 一方、トゥーティッキ。どうしてぼくがさみしがっていたときになぐさめてくれなかったのかと聞くムーミントロールに、

 トゥーティッキは、肩をすくめました。
「どんなことでも、自分で見つけ出さなきゃいけないものよ。そうして自分ひとりで、それを乗り越えるんだわ」

6章 春が来た

 ムーミンママもトゥーティッキも大好きだ。

 甥っ子が自転車に乗って家と反対方向へ走っていく。先ほど、お菓子の食べ過ぎを注意したので、近所を2周3周して頭を冷やしてから自分の家に戻るつもりなのだろう。自転車を漕いで遠ざかっていく甥っ子の後姿を見ながら、自分の気持ちと折り合いをつける方法を身につけるほどに大きくなったのだなと思う。自転車を漕ぎながらあの子は何を考えるのかなあ。彼だけしか知らない彼のことが増えていくんだろうなあ。