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One day, I will break my curse.

このアカウントは、私の人生でとても悲しいことがあったあと、とりあえず、これまで出来ていなかった自分の関心の向くことをすべてやってみよう!と思い立って作ったアカウントだ。

お陰様でこの1年はとても刺激的だった。とても贅沢な案件(原文が美しく、私の言語野がswingできる相性で、かつ成果物が市場で話題になる、という三拍子が揃った案件)に恵まれ、エッセイとか、コミュニティ周りの企画も楽しくできた。新しい仕事にも挑戦して、いろいろな人と知り合うことができた。

だが先日、また改めていろいろ振り返る機会があって、結局のところ今の私が、何がしたくて、どんな風に生きたいのか、まったく描けていないことに気がついてしまった。

そもそも私は幼少期に、「明日自分が死ぬかもしれないと思って行動する」という呪いをかけられている。若くで大きな病気をして一度は死を覚悟した母が、ことあるごとに私に、「明日自分が死ぬかもしれないと思って、何がしたいかを考えて選びなさい」と言って育てたせいだ。もちろんそれが私の意志の強さなどの長所にも繋がるのだが、基本的にどんなことも深刻に捉えがちだし、生き急ぐようなことをしがちになってしまった。

それを変えてくれたのが、大学5年の時から付き合い始めた夫だ。それまでにお付き合いしたほかの人との関係が、私の手を握り続けて側にいるようなものだったり、空を見る私を鳥かごの中に閉じ込めるようなものだったりだとしたら、彼は、私の足首に綺麗なリボンを巻いて、そのリボンを弛ませた先を握っていてくれるような人だった。私が遠くへ飛び出して傷ついたり失敗したりしたとしても黙って見守り、気がすんで帰ってくると抱きしめてくれる。とても居心地がよかったし、彼と生活を始めて穏やかな日々を過ごせたことで、少しだけ、明日も普通の一日が来る、と思えるようになった。

ただ、それから10年以上の時が経って、そんな日々を続けられなくなってしまった。

気がつくと、「明日自分が死ぬかもしれないと思って行動する」私に戻っていた。

この生き方は、とてもキビしい。失敗することも怖いし、ちょっとだけ試すということも怖いと感じるからだ。あらゆることが一発勝負のように見えてしまう。正直もう若くもないし、この考え方のせいでdesperateな状態を続けていたら、本当に死んでしまうかもしれない。

だから今度はちゃんと自分で、この呪いを解く方法を見つけたいと思っている。

何がしたくて、どんな風に生きたいのか。それを見つけるところから始めよう。眼前のものに反応して思いついたことを実行する力は既に持っているのだから、もう少し長期的な視野をかけあわせることができれば、世界もきっとまた広がってくるはず。

というわけで、また1年、がんばります。

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