命日 23.11.12

明日は父親の命日です。
父が亡くなってから丸11年になります。
色々いろいろ、本当にいろいろあった11年間でした。
そういうわけで、本日は前倒しでお墓参りに行ってまいりました。
前回は祖父の命日であった9月10日に参ったので、約二か月ぶりになります。
家を出ようと思ったら雨が降ってきて、今日はやめておこうかなと思ったのですが、雨が止んだので意を決して家を出ました。
お墓の近くの直売所でお花とお供えのお菓子を購入して墓地に行ったら、雨は大丈夫そうでした。

父と祖父が入ったお墓のある墓地は公園になっており、紅葉などの葉が色づき始めていました。高台にあり見晴らしもよく、ちょっとくつろぐにも良い場所です。墓地というのはちゃんと弔われた方が葬られている場所だからか、私には清浄に感じられます。
お墓につくと、前回家族が供えていったお花がまだ咲いていました。
雨の後だったので水もたたえられており、私はそこに自分の持ってきたお花としきみを新たに供えて、お供えのお菓子と自分で淹れたコーヒーをあけて、しばらく父に語り掛けていました。
父から受け継いだ仕事のこと、今の仕事のこと、そして上司のこと。
考えてみたら上司は父にも似たところがあること(前回の肉親の事ではなく、学校を出てすぐに働きはじめ、ずっとそうして生きてきたところなど)母も元気にしていることなど。
父は無口で働き者の職人でしたが、根は陽気で単純な悪意のない人でした。
父と私とは気が合って、母と喧嘩した時など、母と別れたら私と一緒に暮らしたいと言っていたのが思い出されます。

父に話しかけていて、上司にはいろいろ思うところはあるけれど、やはり憎めない、むしろいとおしいと思える何かがあるんだなあと思いました。
昨日は出かけた先で上司の声にそっくりな人に会ったし、今日は上司が好きで私も好きな動画の新作をたまたま目にして苦笑いしていました。
でも、今の私には上司に何もしてあげられない。
むしろ私は上司以上にあの仕事と職場と働きに来てくれる人々が大事で、そこは私にとって一番譲れない部分なので、そこより横のつながりを何よりも優先している上司(と私には見える)を支えることはできないのです。
でもそれが上司の仕事のやり方で、それ以外はできないのだと思います。
仮に上司が辞めたとしても、上司が作り上げた横のつながりは私に入り込めるものではなく、私が上司の代わりになれるものでもないのです。もう取り返しのつかないところに来ていると思っています。

だから、今の上司に私ができる最善は、私があの場所から去ることであると、父との対話の中で思ったのです。最初は苦労するかもしれませんが、その方が働きやすくなると思うし、私がいなくなって見えることも多いと思います。
素直に前向きに、あの職場と上司のために、そして何よりも自分のために、私は去らなければならないと。
次を目指さなければならないと。
それを改めて、静かな自然の中で確認できたのです。

家に帰って、塩と日本酒を入れたお風呂につかりました。
自分の中のごちゃごちゃした感情を洗い流して、新しい出発に向かってもう一回履歴書を書くところから始めようと思います。
あと久しぶりに何か作品でも作りたいし、絵も描きたいなと。

明日はちょうど新月だそうで。
自分のこれからを期待しながら願い事でも書こうかなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?