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TEN YEARS AFTER TEN YERS AFTER &TEN YERS AFTER その2

アフリカ編

パリダカールラリーの話・その1

1982年12月から1983年1月。

キンさんは、1980年代初めてアフリカの地を訪れた。それまで勤めていた会社を辞めて自費での旅だった。目的はアフリカ大陸を見ること。そして、その頃、世界でも名前が知られるようになったダカールラリーの撮影を兼ねての旅だった。

その頃の日本では、このレースがパリをスタートしダカ-ルでゴールすることから、「パリダカ」と呼んでいた。
マスコミも注目し始めて、テレビでも取り上げられるようになっていた。
 1983年といえば、第五回目のパリダカで三菱自動車がワークス初参戦をし「市販車無改造T1クラス」でクラス優勝を果たした年だ。あの三菱の篠塚さんが参戦する3年前のことである。
 当時のパリダカールラリーは1978年の第一回と同じくパリ→アルジェリア→ダカールをめぐるコース。パリのコンコルド広場をスタートした後はスペイン・バルセロナからアフリカ大陸の入り口であるアルジェリアに入る。その後ニジェール、マリ、モーリタニア、セネガルの五つの国を走り最終地セネガルに至る1万キロに及ぶ過酷なラリーであった。
 

キンさんはパリ・コンコルド広場でのスタートシーンを撮影した後、レースを追わずに、アフリカ大陸の入り口であるモロッコに渡った。そして、そこからゴール地点のあるセネガルまで、自由気ままな旅をした。
 

観光をしたキンさんは、セネガルの`サン・ルイ`という地で一人の女性と出会う。「星の王子さま」の作者であるサンテグジュペリの恋人であったらしい彼女の案内で、サンテグジュペリの定宿ホテル「ラ・ポスト」に入った。
「あ~こんなこともあるんだな~」などと呑気なキンさんであった。
 そこはレースのゴールであるセネガル・ダカールから320kmも離れた場所だった。
 スタート地点では、セネガルでパリダカのゴールを待ち受けようと思っていたキンさんであったが、すでにラリ-や車なんてどうでもいいと思っていた。

アフリカそのものに対する興味のほうが勝っていたのである。

アフリカ編、パリダカールラリー・その2に続く…。

                                                                                                  written by J.Watanabe

 

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