見出し画像

TEN YEARS AFTER TEN YERS AFTER &TEN YERS AFTER その3

アフリカ編

パリダカールラリーの話・その2

カメラマン・神山均(キンさん)は、1980年代からフォトグラファーとしてアメリカ大陸、アフリカ大陸、南米を駆け巡めぐり、自由に写真を撮り続けた。

キンさんは、初めてアフリカの地を訪れた。それまで勤めていた会社を辞めて自費での旅だった。目的はアフリカ大陸を見ること。そして、その頃、世界でも名前が知られるようになったダカールラリーの撮影を兼ねての旅だった。

セネガルで見た風景

当時のセネガルはフランスから独立して20数年。まだフランスの植民地だった頃の色が残っていた…。

K「セネガルも両極端見れるわけよ、フランス人が巾をきかせているホテルやレストランなどの近代的な場所と、現地人とのギャップがすごくて、まだまだ植民地の感じがすごかったよ」
K「セネガル・ダカールの沖あい3Kmぐらいのところに、ゴレ島っていう島があって、島民は、ほとんどが漁師。

そこはジャマイカみたいに、ラスタ-マンばっかりで

島の漁師は、朝3.4時に漁に行って取れた魚をもって市場にいくと、あとは帰ってきて仲間と、レゲイ演ってる」
 

ゴレ島はかってイギリスとフランスが、領有権争いを繰り広げ1815年までフランス奴隷貿易の拠点として栄えた島だった。

K「当時、フランスには1982年の12月の頭頃に行ったよ。3カ国も4カ国も回るのに、それぞれの国のビザ取得しなければならないのね」

日本には、ニジェール大使館とかないから早めに行って、パリで大使館まわりしなきゃならないの。今なんかもっと大変なんじゃない?。

2.3日前のニュースでも、なんか難民がスペインに入って西サハラのほう閉めちゃったみたいだし。これから入国も難しくなるだろうね」

K「もうサハラ砂漠なんて`アラビアのロレンス`の中でしか見れねーな」 

世界も人もどんどん変化している。その時だから出来たということは、これからも沢山起こるだろう。

思い立ったが吉日、一期一会である。

アフリカ編、パリダカールラリー・その3に続く…。

                                                                                            written by J.Watanabe

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?