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ベテラン杜氏に支えられた酒蔵 山形・男山酒造

  しばらく旅行記をお休みしていて、もはや文章の書き方すら忘れてしまったようなもんですが、やっと落ち着いて文章を書けるようになったので、続きを書いていきたいと思います。もうすぐこの旅から1年になるため、ほぼ回想録となってしまいます。

 さて私の旅はというと、東京から盛岡を目指したわけで、米沢はちょうど中間地点。米沢の銘酒東光の酒蔵を出て、山形県を縦断。山形県は〝吟醸王国〟と呼ばれるほど、銘酒の多い県だけに、道中にはたくさん酒造があるのだけども、東光を出て向かったのは山形市の男山酒造だった。昨年参加した美酒早慶戦でもらったお酒がここの大吟醸だったため、何かしら縁もあることだろうとお邪魔することにした。事前に電話したところ、「コロナで蔵見学はお断り」と言われると思いきや、「どうぞどうぞ」とばかりに受け入れてくれたのだった。

 少し道中の話をすると、米沢から山形の道のりは至って平坦で、山がなくスイスイと進めるみちだった。途中上山など、故郷の飛騨に縁のある町を通りながらひた走り、〝二八〟を掲げた、うまそうな蕎麦屋があったので立ち寄って食ったりと旅を楽しみながらの道中だった。だいたい50kmほどの距離を、蕎麦を食べて2時間半。ここまでくる間、散々山越えをしてきたために、体力がついてきたのか、体が慣れてきたのか、それほど疲れる感じがしなかった。蔵見学を予約した時間よりも全然早く着いてしまったものだから、市内のサイクルショップで替えの部品を買いつつぶらぶらしてから、酒蔵を訪ねた。

 「ごめんください」と事務所を覗くと、事務員のお姉さんが案内をしてくれ、担当者を呼びに行った。しばらく待っていると、背の低い人の良さそうな、壮年の男性が現れた。この方、酒造に勤めて40年以上になる、大ベテランの工場長、丹羽さん。杜氏も兼ね、男山酒造の酒造りを統括する人だ。
 「自転車でのくるというから、興味を持ってしまってねえ。本当に来れるのか心配でしたよ」と笑いながら話し、早速酒蔵の中へと案内してもらった。

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 酒蔵の様子はそれほど特徴があるというわけではなかったが、仕込んでいるタンクの様子や、酒造りの工程を丹念に教えてくれた。「私は背が低いのでお酒を絞るのが苦手でしたが、このヤブタが入ったことでとても楽になりました」と、古い機械をさすりながら語ってくれた。ヤブタとはお酒を絞るアコーディオンのような機械。ヤブタが出回る前は通称〝槽(ふね)〟と呼ばれる上槽機でもろみの入った袋を上から抑えて絞っていた。この方式は底から積み上げていくため、体が大きい方が有利なため、体の小さな丹羽さんには特に重労働だったそうだ。(後述の話になるが、南部杜氏がもてはやされた背景には、大柄でこうした作業をしやすかったという背景もあるのではないかと思う)。

 一連の見学を終えた後に事務所に戻り、試飲をさせてもらいながら、「男山」の歴史について教えてもらった。全国に「男山」という銘柄を販売している酒蔵は現在12蔵ある。その中で、「男山酒造」と名乗っているのはこの山形の男山だけ。社名では北海道旭川の男山も名乗っており、こちらの方が全国的に有名だが、北海道の男山が生まれたのは昭和40年代で、歴史的には新しい。

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「男山」の名前は江戸時代に人気があった伊丹酒にあやかってつけられた名称で京都の岩清水八幡宮(男山八幡宮)に由来する。伊丹酒というと今では「剣菱」のシェアが大きく、本家本元には残っていないけど、江戸時代は「男山」と「剣菱」が人気を二分したお酒だったようで、全国にある「男山」の名は、「俺んちの酒は〇〇の〝男山〟だ」といった具合に勝手に広がっていったようだ。昔は商標権なんかないから、牧歌的なもんだなと思う。(ちなみに南会津では寄らなかったが、南会津にも「開富男山」というお酒がある)

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 さて、「男山酒造」のお酒の特徴はというと、この日に試飲したのが生酒の純米吟醸ということもあるけれど、口当たりは柔らかながら、ボディがしっかりあり、ミネラルを感じる辛口のお酒だった。食事に合わせるなら、しっかり醤油で味つけて煮込んだ山形名産の玉こんにゃくと合わせたら美味しいだろうなあと思う。

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 長い間この酒蔵一筋でやってきた丹羽さんのような方がいて支えられてきた酒造り。今後若い世代へと技術が受け継がれ、味わい深いお酒を醸していって欲しいものだ。

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