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RIDDLE20周年ツアーゲストバンドとの思い出。BIGMAMA編③

いやー

多忙すぎで全然かけてなかった。


やっぱり自主企画ツアーってのはバタバタしますね…

これ書いてる時点で名阪の二箇所が終わった所なんですけど、そこで起こった事や珍事件はまたちょっと日を改めて書こうかなと思ってます。

このツアー名阪本当に素晴らしい夜でした




今日は来週に迫ったこのツアーのファイナル。そこに出てくれるゲストのBIGMAMAについていい加減書き終えようかと思い筆を取りました。 




前回どこまで書いかたな…

面倒だけど①から読んでください。 




まあ色んな出来事があって、僕らは所属していたRx recordsから離れて自分達でレーベルを立ち上げた訳なんですね。


レーベル名は「lights alights」舞い降りる光って意味です。


レーベルごっこみたいなもんかもしれないけど、自分達の音楽作品を自分達で管理して算盤叩いて…一から十まで自分達の責任でやってみたくなったって事ですね。



「うわー大変すぎる。やるんじゃなかった」って部分と

「やってよかったなあ」って部分。

ちょうど半分くらいのバランスのバンドライフがスタートする訳ですね。


RIDDLEとしての活動もいよいよワガママになっていって、側から観たら結構得体の知れないバンドに見えてたと思うんですよね。

八食フリーライブ出た翌日にいわきのONAFES出るバンドなんか…まあいないよね。





何かのタイミングで友人とこんな話になった

友「RIDDLEは本当に好きなバンドと好きなようにライブしてるよねえ」

僕「そうだねえ 結構楽しいよ」

友「でもせっかく良いバンドなんだから、世間にアピールして行くためにもっとメジャーなバンドと対バンして行ったら?繋がりもあるんだし」


僕「たとえば??」

友「〇〇とか 〇〇とか BIGMAMAとかtelephonesとか良いじゃん」


なんかその話をした時にびっくりするほどピンと来なかったのを覚えてる


僕「うーーーーん。無いかなー」

それは対バンしたく無いとかじゃないし、本当に音楽として大好きな名前。でも、でもだ。

"RIDDLEが"  キャリアアップを見越して対バンしてくれ〜ってお願いするのはなーーーーんか違う気がしてしまった。


よく知らないバンドだったらまあアリかな…?て思ってたかもしれないけど、何故かそのニバンドに関してはそういう視点で観たくなかった。
ライブが観たければ観に行けばいいし、実際行ってたし。

どんどん活躍してスケールアップしていく彼等の邪魔をしたくないとかって潔癖な感情とかでもなくて、

ただ、RIDDLEが彼等をゲストとして迎える時はそれなりの理由が無いと違うな。って思いだけがあった。

オレノトモダチ!ニンキモノ!タイバン!スル!みたいになっちゃうのも、見られちゃうのも嫌だったんだと思う。
それだけ大事なバンドだった。僕の中では。

何が違うのかって言われたら、それは前回のnoteを、読め。






で、で、気付いたら10年くらい対バンしてなかった。(ここでゆう対バンはフェスとかサーキットで一緒とかは除くよ)

あ、telephonesとは一回だけやった。


北浦和KYARAが移転するってなって取り壊す直前にツーマンやった。

確か2014年 さよならビルディングってタイトルの
2マンだった。



それもかなり僕の中では考えに考えてオファーした。断られたらショックだし笑。

でも、ここでやんなきゃ嘘だなって思ったんだよなー。そして快諾してもらえた。その節はありがとうな。





BIGMAMAはわりと観に行くので、疎遠な感じも全くしなかった。

武道館もRXのレーベルメイト達皆んなで見に行った。



節目節目のワンマンとかは結構行ってたし、なんか一昨年くらいに渋谷公会堂(あえてこう呼ぶ)でフリーライブやってた時は俊輔が普通に応募して普通に当選したので観に行った。

最後列だった。

名前見られて最後列にされたのかと思ったよ。



そんな感じの時間が過ぎていく中で「いやー!!いいバンドだなー!そして良い奴ら!!」とはずっと思っていたけど。

「対バンしたいー!!」とかは思わなくなった。

お互い元気で、お互い自分達らしくバンドを続けてさえいればいーじゃん。みたいな。


それくらいの時間が経っていた。


で、今回RIDDLE20周年イヤーの締めくくりって何をしようかなって考えた時に

自然と「あー、BIGMAMAにお祝いして貰えたら嬉しいな」って思った。


ここ10年くらい全く考えもしなかった事なので自分でもびっくりした。

これ読んでる人ならまあ知ってる事だと思うけど、
昨年の新宿ACBでのRIDDLEワンマンライブで柿沼にゲストギターをお願いして一曲弾いてもらった。


↑これはマジでごめん


その時はマジで今回の事は考えてもいなかった。
「ずーっと昔から知ってるイケてるギタリスト」って発想で呼んだだけだ。





だから逆に「あ、そっか。俺ずーーーっとBIGMAMAと対バンしたかったんだな」って事に気がついてからはもう止まらなくなった。

40も過ぎて、仕事もやりながらバンドやって、ありがたい事に応援してくれてる人や尊敬するバンド仲間に囲まれて。

"楽しいな。これがずっと続いていけばいいんだ。変に欲をかいたり高望みしなくたってこれでいいんだ。身の丈以上の事なんて望まないんだ"

って思っていたはずなんだけどね。


20周年って言葉の重さが、自分が知らない間に閉じ込めてた感情の蓋をこじ開けたんだろう。

「あー俺 自分のバンドで、あいつらとガチでぶつかりあいたいんだな」って。








この気持ちをメンバーに連絡するのもなんかプレッシャーかけるみたいでズルな感じがしたので、MAMAメンバーには何も言わずにマネージャーさんに直でオファーした。

丁寧な文章でお返事貰いましたよ。

「よろしくお願いします。精一杯お祝いさせてもらいます」って。

今日に至るまでこの件でメンバーと連絡したりはしてないしこの話もしてない。
東出さんとはちょっとメールしたけど。

当日全部爆発させればいいかなと思ってる。


僕が来てるのが東出さんからのお古のジージャン。結構ヘビロテしてる。





この20年間駆け抜けた密度も速度も到達点も全然違うって事は重々承知。


それでも、初めて出来たレーベルメイトのバンドが側から観ても胃がキリキリするような波瀾万丈を乗り越えて今も続いてて、

俺達もまあ致死量の辛酸ガブ飲みしながらもまあ続いてて、20年経ったのだ。


僕は今ホテルの風呂に浸かりながら、昼間の仕事で痛めた筋肉をほぐしながらコレ書いてます。明日も早起きして仕事にいく。


それは到底、アーティストとかバンドマンって感じのライフスタイルでは無いなって思うし、自分が10代の頃憧れたイメージしたモノよりだいぶ泥臭くて生活感がある。


でも面白いなって思うのは、未だ自分のやってるバンドは誰にも負けないなって思ってる。

↑最強のバンド

それは熱意込みのイキり とかではなく普通に笑 や、うちのバンドすげえよ?観た事ない奴バカじゃん??て。


思ってる。


俺達は止めなかったよ 一度も。メンバーが悪魔の病気に侵されても、事故にあっても、何の為に?なんて思いが去来する隙間もなくひたすらに音を鳴らして来た。

打ち上げ終わりの徹夜仕事だって慣れた、一晩中ハンドルを握って夜の高速を走るのにも慣れた。

そんな人から見れば苦行みたいな時間も楽しく感じていたその理由の一つに


ずっと走り続けている仲間がいてくれたからってのがあるんだ。

さあいよいよ来週だ。 

RIDDLEもBIGMAMAも、20年間研いだ刃を持ってて、今その切れ味は凄まじい事になってると思う。


それが合わさった時のキラメキがあるとするならば、それは絶対に目撃して欲しいし、きっと観た人の胸に残る物になると思う。

次は…無いんじゃないかな?あったとしてもまた10年とか後かもね。

それくらい大事な夜です。

長々と読んでくれてありがとうございました。
7/31 渋谷のライブハウスの、狂気と狂喜の坩堝で会いましょう

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