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1枚の絵の前で動けなくなる

いつから美術館へ行くことが好きになったのかは思い出せないけど、わけも無く強く惹かれた1枚の絵との出会いのことは覚えている。

それは、「バテシバの水浴」というタイトルで、残念ながら画家の名前を覚えていない。有名なのはレンブラントの作品だろうが、それでないことは確かだ。メムリンクでもない。

展覧会の序盤に展示されていた作品で、一度見てどうしても忘れられなかった私は、もう一度チケットを購入して見にいった。図録を購入するお金がもったいなかったので、展示室に設置されていた図録から、その絵のことが解説してある箇所だけノートに書き写した。それほど惹かれた理由が何だったのか、その時もわからなかったけど今はもっとわからない。

最近、「バテシバの水浴」で検索をしてどの絵だったかを確かめようとした。これかもしれないというのはあったけれど、確実にこれだ!という決め手はなかった。その絵の前から動けなくなったこと、その絵を見てからしばらくはボーッとしていたことは思い出せるのに。

「バテシバの水浴」は聖書で語られる古代の話で、人妻のバテシバが屋上で水浴をしていたところを、王ダビデが見初めたという。バテシバを妊娠させてしまい、夫が邪魔だったダビデは、わざと夫を戦死するように仕向けバテシバを自分の妻にした。

その時の絵を見て、目を外せない何かが私を捉えたのだと思うけれど、いま、同じ絵を目の前にしてもその時と同じように絵の前から動けなくなるか、もう自信がない。その時にしか感じられない出来事だったような気もしている。

それから、いくつかの展覧会へ行ったけれどそのような1枚の絵に出会うこと自体が稀なのだと知った。

お気に入りの絵を見つけることはある。1回の展覧会で1枚でもあればいいほうだ。
でも、訳もわからず目が釘付けになるあの体験とは違って、心の内がざわめかない。

また、あのざわめきを味わえないかしらと期待しながら美術館や博物館へ行っている。「バテシバの水浴」以来、私の心をもっともざわめかせたのは、髙島野十郎の絵だった。1枚どころか、何枚もの絵の前で、私は目が離せなくなった。野十郎の絵と、「バテシバの水浴」に何か共通点があるとしたら、黒あるいは闇だろうか。私がそこに何を見、何を感じとったのか、やはりわからないままである。



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