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宮城県美術館【洲之内コレクション】を見たときのこと 東北への旅②

【洲之内コレクション】とは、『気まぐれ美術館』の著者である洲之内徹さんの収集した絵画のことで、洲之内さんが亡くなられたあと宮城県美術館に寄付されたという。洲之内さんは、自分の気に入った絵は売ろうとしない客にとっては困った画商だった。でも、こうしてコレクションとして一つの場所にあることは、読者として嬉しい限りだ。

私が洲之内さんのことを最初に知ったきっかけは、白洲正子さんの本だった。『気まぐれ美術館』は、芸術新潮で連載されていた美術エッセイで単行本にもなっていたはずだが、古いためか本屋にも図書館にもなく、しばらくたってから新調された復刻版が発売されたことを知った。単行本全6冊だから値段もそこそこしたけど、これは一生そばに置いて繰り返し読むだろうという予感があったので購入した。

洲之内さんの文章は、白洲正子さんの本の中で紹介されていたから、自由気ままで味のある文章を書く人だというのは知っていた。美術エッセイに興味があったというより、洲之内さんの文章に興味があった。ここで、洲之内徹さんのことを彼の文章を引用して紹介したい。

だが、その芸術なるものも私とは縁がない。私はただ、何かに溺れるだけなのである。あるときは革命に溺れ、女に溺れ、絵に溺れ、いままたモダンジャズに溺れかかっている (略) 芸術なんてものは私には必要がない。そんなものは、それを飯のタネにしている批評家あたりに任せておけばいい。私には溺れる対象だけが必要なのだ。人生とは所詮、何かに気を紛らせて生きているだけのことだ  
 --『さらば気まぐれ美術館』守りは固し神山隊

革命に溺れ、女に溺れ、絵に溺れ、
たぶん洲之内さんの自己紹介としてこれ以上の言葉はない。そして私はというと、わざわざ本屋で注文をして取り寄せて購入したというのに、2冊目に入ったあたりで、知らない画家の話ばかりだと読み続けるのも大変だなと本を閉じ、いつでも読めるのだからと山遊びに明け暮れ、押し花用の重しにしたりして、気まぐれに数年間放ったらかしにしていた。

再び読み始めたきっかけは自粛生活のせいだったけれど、おかげで全冊完読し、東北への旅に出るきっかけとなった。そして、私も絵に溺れてみたいと思った。溺れたいと思えるほどの絵画に出会いたいと。

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仙台駅のホテルの朝
地下鉄で宮城県美術館へ行った

旅程の都合上、時間があまりなかったので、充分に観賞できなかったけれど、長谷川りん二郎さんの作品はどれも美しかった。

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この猫には、履歴書があるのだ。

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そして、ポアソニエール
写りがイマイチだったのでトリミングして洲之内さんの文章を横に付けた。

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宮城県美術館の他のコレクション展示(クレーとカンディンスキー)もよかった。本間美術館でがっかりした分を補って余りあるほどにとても良かった。

宮城県美術館 第3期コレクション展
〜2021/1/12まで

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宮城県美術館は開館が9:30からで、朝は時間があったので敷地内を歩いていた。駅から美術館までの歩道の雰囲気も良かったし、どうやら美術館は他の場所へ移る計画があるそうだけど、また洲之内コレクションを見に来るだろうな。

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