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自分の「分岐点」はどこだったのか

こんにちは。東京大学の山野弘樹です。

今日も赤井はあとさんのブログに触発を受けたので、noteを書いてみることにしました。全力で目標に向かって頑張っている人の文章を読むと、どうしてこんなにも元気を貰えるのでしょうね……。

さて、今日はタイトルの内容について、ほんの少しだけ話します。


自分に「分岐点」はまだ来てなさそう

最初からタイトルを裏切るようなことを書いていますが、正直なところ、これがまだ一番の実感です。

もちろん、今年に入って本当に様々な方々とお仕事をさせていただきました。今年の3月には、講談社現代新書さんから単著を出版させていただくこともできました。

ただ、僕にはある目標があって、それを実現しているであろう生活と比較したら、やっぱり今の生活はそこまで変わっていないように思えるんですよね。

おそらく、五年前の生活と比較しても、今の生活が実質的にほとんど変わっていないというのが、そのように感じる一番の理由だと思います。逆に、五年後の生活は今よりもだいぶ変わっている予想があって、そうしたら、その期間のどこかが「分岐点」に思えるかもしれません。

とはいえ、「分岐点」って、何と比較して「分岐点」になるのかというのが一番の問題なような気がして、すると大事なのは、比較対象となる目標なのかもしれません。


とはいえ「分岐点」らしきものはあった

……みたいなことを書きましたが、それでも自分の人生を振り返ってみると、「分岐点……のような……?」と言えそうなものを見つけることができました。

それは高校三年生の九月の話です。

自分はとあるエスカレーター式の高校に通っていて、机の上で座っていれば大学に行けるような環境でした。実際、学内の90%強は大学受験をせず、一般受験組が死ぬ気で最後の追い込みをかける12月の時期には、クラスのほぼ全員が「あ~テストから解放された~~~」という空気感で騒いでいました。流石にあれは気がおかしくなるかと思いました。
あまりに精神にストレスがかかり、実際に酷い頭痛に苛まれたので保健室で寝ていたのですが、戻ってみたら6限後のホームルームが終わっていて、「お、山野、お前いたのか」とクラス担任から言われた日のことはよく覚えています。

あれをきっかけに、「よし、自分は“ここではないどこか遠くの場所”に行くぞ」と改めて決意したんですよね。

ちょっと話が前後してしまったのですが、そんな環境で自分が一般受験をしようと決意したのは、高校三年の9月1日でした。

6月下旬くらいに何かの模試を高校全体で受けることになっていて、夏休みが終わってから、その結果が帰ってきてたんですよね。

エスカレーター先の大学は、とりあえず「法学部」を記入しておきました。ただ、他にもいくつか大学の候補を選べるので、当時大学受験をする気がなかった自分は、なんとはなしに、「青山学院大学」の名前を記入しました。

で、その結果が夏休み後に帰ってきました。
エスカレーター先の法学部が「A判定」で、青山学院大学が「C判定」という結果でした。

僕は、この結果を手にした瞬間、クラスの喧騒もほとんど忘れ、次のようなことを考えていました。

「これ、あと半年勉強すれば、C判定をB判定に上げることくらいはできるのでは? そうしたら、何かの間違いで合格することもありえるのでは?」

その日の高校の帰り道、即座に某大手予備校のパンフレットをゲットしに行き、突然親に「大学受験をする」と告げると、「想定外の出費だ!」とこっぴどく怒られてしまいました。そりゃそうですよね。本当に、たくさんの面で親には迷惑をかけてしまいました。

そして、実際には半年も期間はなく、9月1日から大学受験の勉強を始め、翌年の1月にはもう「センター試験」(懐かしいですね!!)を受験しました。私大の受験は2月頃だったので、実質5か月間くらいしか自分には残されていなかったのだなと思います。

そして大学受験の期間を経て、自分は、僕の人生を方向づけた母校、上智大学に入学することになりました。


何が「分岐点」になるのか

昔のことを今日は振り返ってみました。つまるところ、「分岐点」はマクロなレベルとミクロなレベルで捉えられるような気がしています。

マクロな「分岐点」とは、例えば今日書いたような「C判定」の話です。あれは高校が(無理やり)僕に模試を受けさせてくれたから出会うことができた「分岐点」です。エピソードとしても分かりやすくて、何が分岐点になったか、自分で取り出すことができます。

もう一つがミクロな「分岐点」です。それは多分、意識にのぼらないけど、ふとした生活の中で何気なくかけられた言葉によって、少しずつ自分の日々を変えてくれるような「分岐点」なのだと思います。

マクロな分岐点は、ほんの少ししか思い浮かびません。
ですが、ミクロな分岐点は、きっとたくさんあるのだと思います。何気ないやり取りや、仕事でできた微かな繋がりも、結果的に人生を方向づけているのだと思います。

今日だって、はあちゃまのブログを読んだから、こうやって文章を書いてみようと思ったのです。
そうした意味では、僕がはあちゃまの存在を知ることができたのは、大きな分岐点だったのかもしれません。


自分のことを直接的・間接的に支えてくれているすべての人に、今日も感謝をしています。



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