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悲しかったことが、笑い話になったなら

小学5年生の次女が、ある日突然に年長の頃の出来事を私に打ち明けてくれた。年中の頃、彼女は仲の良い友達との離れ離れになり、担任の先生が合わなかったこともあって、幼稚園に行き渋っていた。年長に進んでもなかなかクラスに馴染むことができず、その中での夏のお泊り保育が彼女にとって特に印象深いものだった。

彼女は当時、友達と一緒に寝ることを望んでいたが、実際には今まで彼女の口からは名前が出たことがないような男の子の横で、しかも敷布団がない場所に掛け布団を敷いて寝たという。それを聞いて、とても心細かっただろうなと、私は切ない気持ちになった。しかし、彼女は「そこがあいてたから寝ただけだよ、楽しかったよ」と、当時の気持ちを笑顔で振り返っていた。

5年が経過したある日、次女はふいにその頃の思い出を口にしてくれた。友達の横は全然開いておらず、ちょっとした隙間があった端っこで寝たという。そして、隣にいたのは仲の良くない子で、あまり話もできなかったとのこと。後日写真を見たら先生やみんなが楽しそうにポーズをとる中で、自分は掛け布団を敷布団にしている様子が写っていたそうだ。

彼女は笑顔でこれらの出来事を振り返り、「ちょっと悲しかったなー」と話していた。苦笑いしながらも目を潤ませながら話す姿に、私は母親として切ない気持ちになった。それでも、時間が経つことで話せなかった思いが笑いながら話せるようになり、良かったなぁと思う。

悲しい経験は、笑い話となるまでには時間がかかる。しかし、その過程で自分の心がどれだけ成長し、変化しているかを感じることができる。彼女が苦しんでいた頃の自分を振り返り、その頃の自分を慰めることで癒され前を向いて進めるのだ。そして、同じような経験をした人たちに共感し、寄り添って上げることができる。全ての経験は宝物であり、その価値は時を経て初めて見えるものなのかもしれない。


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