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vol.3(1)2回目の富士登山に向けて

2011年4月
光太郎が小学生になり葵は幼稚園生になりました。

計画を立てるのが好きな私は
お腹の赤ちゃんに向かって、
「ママはお兄ちゃんの入学式、お姉ちゃんの入園式に出席したいから、まだお腹にいてね。」

無事、入学式と入園式が終わると、

「明日は保護者会があるの。だから、保護者会が終わるまでお腹の中で待っていてね。保護者会が終わったら出てきていいよ。もうすぐ会えるね」
とお腹の赤ちゃんに語りかけていました。

そして、次の日保護者会に出席し、保護者会が終わった頃、陣痛が始まりました。
家に帰ってから、保護者会でもらった大量の書類に必要事項を記入して、全て書き終えた頃には陣痛の間隔が15分になり、病院へ向かったのでした。
さすがに3回目。かなり余裕です。
とは言え、陣痛の痛みに耐えながら、名前や住所を何度も書くのは大変でした(笑)

お腹の赤ちゃんにスケジュールを伝えておいたら、本当に予定通りに産まれてきたのにはびっくりでしたが、やっぱりちゃんと伝えていたからだなぁと思いました。

名前は 亘 わたる 
光太郎待望の弟です。

それから、赤ちゃんの成長をみんなで見守り
その年の夏は富士登山はやめる事にしました。

そして、1年後、2012年夏、
再び富士登山に向けて準備を始めました。

葵は4歳 亘は1歳4ヶ月
2人を連れて富士山に行くことは難しいので、
もう一度、ママ友にお願いすることになりました。

さすがに
「また富士山行くの?」と突っ込まれましたが、彼女は快く引き受けてくれました。

2回目は七合目まで行きたい。
去年よりは時間がかかる。
亘はまだ小さいので、彼女にはかなり負担になる。
彼女に子どもをお願いするのは今回で最後にしようと考えていました。

とはいえ、彼女に子ども2人を預けることに対しては不安はありませんでした。
葵と伶ちゃんは同じ幼稚園で、毎日一緒にバスで帰って来て、亘も一緒にほぼ毎日遊んでいたので、彼女と伶ちゃんにすっかり懐いていました。

本当に今でも、彼女には感謝の気持ちでいっぱいです。

子ども達が3人とも大きくなってからみんなで行くことも考えましたが、その時はどうしても、光太郎と2人で行きたいと思っていました。

2回目も日帰りなので、
前回と同じ富士宮ルートで七合目を目指す事にしました。


富士山と子どもと私

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