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小さな幸せ集め

こんにちわ、ricoです。


今年1番いい顔をしていたそうなので…。


とある神社に行ってきました。
私は龍が奉られているところに縁があるらしく、突然行きたくなって自宅から小一時間ほどの神社に参拝しに。


何となく「ここは相性がいい」と感じるところには何度も訪れるし、そうでないところはその後行くことはないのだけど。その神社はかれこれ年1くらいのペースで行ってるのかな。


呼ばれたと感じた時は素直にすぐ行きます。数ヶ所あるのですが、「あ、行かなきゃ」って素直に思って素直に行動してしまう。何かしらパワーを感じているのだと思う。


で、そこで参拝をしたあとはふもとにあるたい焼きやさんに毎回寄るのだけど。


「よっしゃ、たい焼き~♪」


って満面の笑みで言ってたらしい。笑


今年1番の笑顔だったそうです…笑



私、幸せのハードルってめっちゃ低いんです。そこのたい焼き屋さんが本当に美味しくて。毎回それを楽しみにしてるって言っても過言じゃないし、そのお店が自分の中でベストオブたい焼きなんですよね。


美味しいたい焼きを食べて幸せ。
120円だし、豪勢でも何でもないけど。
素朴な優しい味で満足度はMAX。
あー幸せだわ。


って思って毎回本音は数匹食べたいけれど、あえて少し物足りない一匹だけに。その方が「また食べたい」って思って参拝しに行く口実にもなりますし。


毎日すごく些細なことで幸せだと感じれるのは、満たされているからなのだなと思う。小さな幸せを見つけるのが上手い自覚はある。


そもそも、ド田舎出身なので「ありがたい」と思うハードルがかなり低いおかげかもしれない。

  • 徒歩圏内にコンビニやスーパーがある

  • 公共交通機関が機能してる

  • 何なら信号があること

  • 衣食住に困らない

  • ガソリンスタンドがある

  • 子どもたちの学校が「選択」できる

  • 近くに本屋さんがある


どれも「当たり前」なのかもしれない。
けれど、実家の方にはどれもないもの。


最寄りのコンビニまで車で峠を20分ほど走らなくてはいけないし、電車はなくてバスは2時間に1本あるかどうか。学校は選べないから消去法だし、ガソリンスタンドがないから帰る前に満タンにしておかないと痛い目に遭う。


だからこそ、なんです。


田舎には田舎の良さは確かにあるのだけど、ただそれってそこの出身だからこそ思う。もう少し選択肢があれば良かったのにって。


子どもたちもその地域を知っているからか、小さい幸せを見つけるのは上手い。今ある色んなことが当たり前ではないこともよくわかっている。


子どもたちが小さいとき、あまりに言うことを聞かなかったときは


ばぁばの家にホームステイしに行くか?


と脅すと泣きながら謝罪してきてた。笑


何もないことが当たり前の地域だから、もちろんその良さもあるのだけど。現代っ子には厳しいんですよね。当たり前にWi-Fiなんかないし。時間の流れも極端に遅く感じるし。遊ぶ場所や見るものも何もないですから。


何もかも恵まれていた都会の人ほどなぜか幸せ探しが下手な気がする。それはきっと、「あることが当たり前」だからなのかもしれない。


だから私は小さいことでたくさん幸せを感じられるのだから、幸せ者なのだと思う。田舎っぺゆえの特異体質なのかもしれないけれど。

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