見出し画像

次元の違い

目に見えないものの話になりますが。


よく話してても、この人とは次元が違うのだなと感じることがあるのですが。


じゃあ、その次元って何だろう?


同じ3次元にいるはずなのに、色々噛み合わない理由ですね。


あー。バージョンの違いかぁ。


と思ったので記録しておこうと思います。


そもそもがご縁って色んな奇跡が重なってできていることですよね。同じ年代に生まれたとか、同じ学校職場だったとか、趣味が似ていたとか。


とにかく何かしらが近いから同じ時間を過ごしているわけで、じゃあそれって何に置き換えればわかりやすく自分が納得できるのか?


私の場合、ゲームでした。


ゲームって、アップデートすると微妙にバージョンが変わるじゃないですか。1.1.3みたいな。あれなのかなって思うんです。


その人の生まれた国とか環境というのは変えられないのだけど、そのあとに続く色んな経験やものの見方とかでバージョンが変わっていく。


その上で、そのときに同じようなバージョンの人と出会って、どちらかがバージョンアップした時にご縁が切れてしまう。そう感じました。


だから、いつまで経っても経験値が増えない人って、よくRPGでいる村人みたいなのかなって。


「ようこそ!○○の村へ!」
「こんにちわ!」


って言ってるだけのキャラクターっていますよね。あれなのかなと。


自分の人生に影響を与える人ってその時々のキーマンになるので、大事なアイテムをくれたりヒントの言葉をくれたりするキャラ。


でも生きていく上で自分以外のバージョンにあわせてあげる必要って出てきますよね。


私の場合は子どもなのですが、子どもたちのバージョンに合わせて人付き合いが変化していきました。当然次元の合わない人もたくさんいます。


それって、主体が子どもになってるから。
子どもっていうフィルターを通しての関係だから仕方ないのかなと思います。


だから私は無理してママ友って作る必要はないと思っていますし、波長が合うなら仲良くすればいいとは思います。


昔はママ友ができないことを悩むまではいかないのですけど、うーん…子どもたちにとったらどうなのかな?とは思っていたのですよね。


でも、子どもたちはそれぞれ自分たちの世界を作り上げているので。親が口出しする必要もないのかなって思うようになりました。


遊びたい人と遊ぶし、仲良くしたくなければしないだけなので。本人に任せておけばいいかと。


そうしたことを考えていたら、自分に対しても疑問が出てきたんです。


私は自称人見知りだけど営業トークは得意な方なので人懐っこいとよく言われています。人懐っこいと言うか、喋ると接しやすいらしい。


フレンドリーと言うか、あまり人に対して上も下もないと考えているので先入観がないと言うか。自分で話してみて決めたいから、人の噂は信用してないのもあります。


で、その自称人見知り。もしかして違うんじゃないの?ってことに気づいたんです。


正直トークに関してはどれだけでも投げれるし打てる自信があるんです。かなりマニアックな話題にもついていけるし、ジャンルも広い。


なのに人見知り?いや、おかしいよなぁ。
会話が続けられないことはないけど、続ける必要性を感じてないんだよね。何でだろう?


…あぁ、次元が違うことがわかってるから会話を「できない」じゃなくて「しない」選択肢を取ってるんだなって。


ゲームの話に戻りますが、「ようこそ!○○の村へ!」ってずっと話してるキャラクターに対して何度も話しかけないですよね。


あれと同じ現象かと。


バージョンが変わっても、やっぱりそういうキャラクターって存在するわけで。それを見抜くのが早いと言うか、この人は私の人生に影響を与える人ではないって即時判断するのだと思います。


実際、自分の人生に影響を与えてくれた人はたくさんいます。でも自分の環境が変わったとき。例えば転職とか引越とかね。勝手に縁が切れるようになっています。


切れたご縁に私はしがみつかないですし、縁があればまたそのうち会うだろうしって思っています。今のところ皆無ですが。


それは自分がアップデートされたから、バージョンが変わったから目に見えない部分でズレているのだなと。


だから近隣に住んでても本当に会わない。都会ならともかく、地方の田舎なのでイオンとかで会ってもおかしくないんですけどね。


そのバージョンの違いがあって、キャラクターの違いがあるから居心地の良し悪しがあるのかなとも思うんです。


同じバージョンの人であれば、話題は尽きないしどれだけ喋っていても楽しいと感じる。


でも村人的なキャラクターが相手だと、何を話しても同じような回答しか得られない。有意義な答えが出ないし、キャッチボールができない。だからそれ以上会話を続けようと思わない。


あー、なんだ。そんなことだったのか。


って、妙に自分で納得しました。


だから、居心地の悪い関係性とか職場からはさっさと離れた方がいいわけね、って。


だって自分の人生なのに、自分が村人になっちゃいますもん。他人軸って、そうやってその決められたことを「自分の考えを持たずに行動や言葉にする」ことだと思いますし。


村人って、ずっと同じ動き方してますもんね。


そりゃいじめっこは何歳になっても同じような言葉を言って、同じような行動を繰り返すわけだ。


人を見て初見で「意地が悪そう」と感じる人は皆村人なのか、じゃあ対峙する必要性なかったなーと自分の今までの人生を振り返ってそう感じました。


バージョンが違うから仕方ない。村人キャラだから仕方ない。そう思えたらちょっとスッキリ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?