私が気づいた前者と後者

遅ればせながら、気づいたこと



生徒指導をしていて、今日はっきりわかったことがある。
35年もかかってしまったか。




世の中には、
「損か得か」「褒美がもらえるか」「罰せられるか」で動く人間と、
自分の信じている「善悪」や、自分の「ワクワク」「イヤイヤ」で動く人間に分かれている。

そして、この二人は、話していても噛み合わないということに、
やっと、気づいた。

ちなみに私は後者だ。

例えば、「掃除」
わたしは、掃除はキレイにするため、それはとっても良いこと、と思っているからやる。キレイになるまでやる。でも、完璧はあり得ない。
前者は、例えば、掃除をやれば評価が上がるからやる。はたまた、掃除をサボるとペナルティがあるからやる。キレイになろうがならまいが、マニュアル通りにやる。
そして結局、前者と後者のやったことは大差はない。大差は。でも、気になってしまうのが後者。

どちらが正解はないのだと思う。
生きているんだから。
だから法律も必要で、
憲法も必要で、
マニュアルが必要で
給料が必要なんだと。

私の指導のつまづきの、ほとんどが、これによる相違だと考えると、解決できるものが多くあって、
しょうがないかなぁ。と思える。

そして、成績、評価に関して、自分がどうも苦手でザワザワしてしまうのは、この違いのせいなのかと気づいた。

さらには、学校社会って前者である方が公平性を保ちやすい。
可視化することを求められやすい。あ、それは社会全般か。

バスケも、スタッツに現れるものを評価する。
スポーツ全部そうなんだけど、
私は数字に出ない活躍を好むタイプ。
ポジショニングがよくて、チャンスを摘んでくれる選手、つなぐ場所やタイミングがいい選手、コースを作るために体張ってくれる選手。声を出して常に鼓舞してくれる選手、モチベーションをあげてくれる選手。誰よりもハリーバック頑張る選手。 などなど、あげればきりがない。
「怒られるからやる」が大嫌いな私は、とにかく考えさせる。
それがときに、選手を苦しめていたんだなとは思う。正解がないものに取り組むのが嫌なのが前者だから。
だから、選手器用に不満が出やすいのだと知りました。

「損得」の合理性タイプと、「善悪」の情熱タイプが向き合うことはまあ、しんどいことです。
ただ、それは、種類が違うんだと言うことを気づけたのは大きい。

そしてそして、私が学校に馴染めない理由も、よくわかった。なるほどね。だからよね。

社会的にmajorityというか、正しく映るのは、「損得」の方だと感じること多々。

まあ、どちらが正しいなんて、ないんだけどね。

そうして考えると、たぶん、一生馴染むことはないんだと思った。。。(笑)

でも、まだ修行していきたいので、しばらく頑張るつもりです。こうして気づかされることが多いし、学校が秘めるポテンシャルはほんとに魅力的。
でも絶えず、自分の在り方を考えて、より社会に貢献できる方法は模索していきたい。
小さいレベルの改革(というと大袈裟だな)はできるところから、少しずつやっていけてる感はある。

皆さんにご協力頂きながら、世のために貢献できる人材となるよう精進する所存でごさいます。

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