【ミュージカル】楽しいミュージカルの要素がモリモリ『ヘアスプレー』
キンキーでフィーバーする前に、『ヘアスプレー』のレビューを書いてしまわなくては!
チケットの入手にすったもんだしまして、一旦は諦めていたので、棚からチケットが降ってきた時は、なんの奇跡かと思いました。
これぞ、ミュージカルの神様のお導き。
劇場へ行けるご縁のありがたさよ。
大好きな作品なので、嬉しいかぎりです。
ミュージカル『ヘアスプレー』の素晴らしいところは、あげるとキリがありませんが、まず、パンチがあって印象に残る数々の楽曲。
そして、よく考え抜かれたプロット。すなわち、性悪な悪役はいないけど、善人ばかりとも言えない人間臭いキャラクターたちが織りなす、家庭の問題、学校の問題、社会の問題全てを包含したストーリー。
そして、あくまでもエンターテイメントである事に徹し、明るく、あっけらかーんとややこしい事を描くから説教臭くない。
そして、そして、ガチで踊るミュージカルなのも、素晴らしい。
ああ、もうキリがないですが、そんな印象を持って、期待マックスで劇場に乗り込んだ私ですが、もうね。大満足でした。はい。
映画版があるとはいえ、まだ上演中の作品ですので、ネタバレなしで、見どころを書き残しておきたいと思います。
『ヘアスプレー』との出会いはGood Morning Baltimore
『ヘアスプレー』は、元々は映画です。ヒロインのトレイシーは、学校ではけして優等生ではなく、60年代のボルチモアを舞台に、アフリカ系アメリカ人のカルチャーがふんだんに描かれるため、かなりスラングが多様された脚本で、ちょっと子供に見せるのは憚られるレベルですが、一方で暴力や性的なシーンはほとんどなく、可愛らしく高校生を描いている作品です。
とあるイベントで、オープニングの『Good Morning Baltimore』を聴いて、「なにこの楽しい曲!」と思ったのが、ヘアスプレーとの出会いでした。
今から10年くらい前の事だと思います。
調べたら映画があると言う。
早速DVDを買って見てみると、ぷくぷくした女の子が、ヘンテコな髪型で、ご機嫌で街を歩きながら歌ってます。
なんじゃこら?!
とにかくポジティブで、底抜けに明るい歌詞、謎の露出狂、頭に残るメロディ。
釘付けになりました。
この曲が好きすぎて、程なくしてカラオケのレパートリーに加えたものの、なかなか歌うチャンスがない。
なぜなら、日本ではだれも知らない作品だったからです。
数年前、コンサートバージョンがテレビでやった時には、私の周りのミュージカル友達界隈では、ちょっとしたお祭り騒ぎになりました。
その頃には、トニー賞受賞作品で、評判がいいのに、なかなか日本に来ない作品、として、話題に上るようになっていたのだと思います。
実は、私が出会うよりだいぶ昔に、来日公演があったようなのですが、ちょうど観劇から遠ざかっていた時期でもあり、全くノーマークでした。
今となっては、悔やまれますが、そんなこんなだったので、ジャパンキャストでやると聞いた時はほんとに嬉しかったわけです!
映画からの舞台化で成功するミュージカルの鉄則
ミュージカルの中には、映画から舞台化された作品というのが少なからずあります。
舞台を映画化する場合と逆で、表現の幅が技術的に狭まる事になるから、ギャンブル性でいうと、圧倒的に高くなる映画からの舞台化。
だから、あの映画の世界が、どんな風に舞台になるのか、ほんとにほんとに楽しみでした。
だって、映画見る限り、狭めようがないじゃないですか!
映画を舞台化する時に、絶対守って欲しい法則が、私の中にいくつかあります。
全部書くと、それだけで、note3つ分くらいになりそうだから、、その中から、ひとつだけ挙げるとするならば、
象徴的なシーンは、なにがなんでも映画の世界観のビジュアルで再現してほしい。
これです。
それだけで、映画ファンで舞台に足を運んだ人を8割くらいは満足させられるでしょう。
いや、単なる顧客満足度をあげるためじゃなくてですね。
象徴的なシーンは、作品の世界観を背負っているシーンでもあるんです。
だから、そこを変にいじって、オリジナリティ出すとか、なくていいんです。
今年に入って観た『メリーポピンズ』は、元はコミックで、映画化され、さらに舞台化されたミュージカルですが、単なるコミックリリーフの域を超えて、舞台版では色々な進化があります。
脇のキャラクターも、良くも悪くも舞台版は、独特なんですが、それが大成功している。
その理由は、象徴的なシーンのビジュアルは、死守しているからだと思います。
例えば、メリーポピンズが登場するシーンと帰っていくシーン。
メリーポピンズが魔法を使うシーンや、魔法の世界と、現実世界を行き来する切り替えのシーンあたりは、わりと映画のビジュアルを忠実に再現しています。
そのおかげで、観客は、あちこちに変更が加えられたプロットをポジティブに受け入れ、メリーポピンズの世界観に浸っている事ができるのです。
ヘアスプレーはそれで言うと、テレビの収録のシーンあたりは、映画以上の華やかさで、舞台ならではの良さが存分に生かされています。
素晴らしい。
一方で、トレイシーの自宅や、アフリカ系の生徒たちのシーンは、映画ほどカオスな感じではなかった。
そのキラキラな白人カルチャーのテレビの世界と、白人だけど貧しくて、でも、幸せなトレイシーの実家、それに、路地裏で力強く生きるアフリカ系住民の世界観の対比で描いているものが沢山あると思うだけに、ちょっと惜しかったなぁ。
でも、総じて、作品としてのパッケージで見た時、存分に世界観は再現されていたように思います。
良くも悪くも、トレイシーの醸し出す雰囲気が、作品そのものを作り出しているからかも知れませんが。
アートが楽しい舞台はそれだけで成功
ブリリアって、帝劇やオーブと比べて、ややコンパクトな舞台の印象がありますが、コンパクトなのは客席数で、舞台そのもの間口や奥行きは、さほど変わらないようです。
だけど、なんか狭く感じる。
おそらく、セットがコンパクトに作られていて、ステージの横幅をめいいっぱい使ってないシーンが多いから、錯覚しがちなのと、出演者が多くて、人口密度が高いステージングのせいかなと。
でも、その視覚効果は、そのまま、迫力に直結しているように思います。
狭いところに密々だと、なんか迫力があるように見える。
また、今回は、舞台後方にオケがいました。
必然的に奥行きが短くなって、使える面積が狭くなってましたね。
で、セットがコンパクトということはですね。
キャストが場転をやるという事です。
このタイプ、大好きです。
宮廷モノとかでは、あまり使われない演出ですが(ドレス着たお姫様がセット動かしながら出てきたら驚くよね)現代ものの、特に庶民のシーンだとよくあります。
暗転とは異なり、シーンとシーンが断然しないので、ありがたい。
もちろん全部が全部ではなくて、豪華なテレビ番組のシーンなんかは、機械で動かすタイプの場転。
機械と人の使い方上手いなぁ。
舞台アートは作品のイメージ通り、すごく華やかで、鮮やかな色使い。
ママの衣装なんかもう、地味バージョンの普段着でも、なぜか派手に見える。
人間の認知能力、テキトーすぎるなと実感します。
いや、ちがう。
セットの作り、衣装、ステージング、どれも、人間の錯覚をいかに起こさせるか、勝負を挑まれてる気がします。
完全なる人間の敗北でしたけども。
ママズが最高すぎた
ジャパンキャストでやるらしいと聞いた時、トレイシー役もさる事ながら、ビッグママは誰がやるのか、すごくすごくいろんな妄想しました。
身長で言うなら、城田優さんくらいあるといいなぁ、とか。
ぶっちぎりで振り切れるという意味で、市村さんもいいなぁ、とか。
あと、私的にダークホースは、吉原光夫さん。
昔観た『冒険者たち』のノロイの怪演が忘れられず、もう一度、あの振り切れる吉原さんに会いたい。。
けど、誰を想像してみても、いまいち、ピンと来ない。
映画版の意外性となりきり具合を観てるから、それ以上のものを欲してしまうわけです。
そしたら、まさかの祐様でした。
これ、オファーした人、神か!
そうよ、そうよ。
あのモーツァルトの皇帝の怪演を観てるのに、どうして思いつかなかった!
もう、見る前から間違いないってわかります。
観たら、間違いなかったと確認できます。
そんなに出ずっぱりな役ではないけど、圧倒的な存在感で、出てくると全部持っていく、まるで台風のようでした。
明らかに、映画と比べて、キャラクターが進化してましたが、私は自己実現欲求、ストレートに丸出しの祐様ママ、大好きです。
すごくしっくり来ました。
そして、ママズの存在感で負けてなかったのがエリアンナママ。
ビジュアルも含め、ソウルフルで圧倒的な歌唱力で、何もかも持っていきます。
祐様に比べたら、ほんの数シーンしか出てないはずですが、これまた圧倒的な存在感でした。
いつまでも聴いていたかった。
ちょっと物足りなかったよ。
それでも、この作品が描こうとしていた有色人種の置かれた複雑な立場をしっかりと観客に届けていらっしゃる。
お見事でした。
そして、ヒール役の瀬名じゅんママ。
元々、毒っ気のある役とか、天然な感じの役ってあまりイメージにない瀬名じゅんさん。
ママズの中では、1番意外でした。
でも、どうしてどうして。
自己中で、打算的なヴェルマ。だけど、芯の強い役をやらせたらピカイチの瀬名じゅんさんが演じることで、ちゃんとヴェルマなりの正義が伝わってきます。
彼女にも守りたいものがあり、愛に溢れる強い女性に見えながら、弱い人間の部分も見え隠れして、結果、愛すべきキャラクターに仕上がっていました。
ママズの中で、意外性という意味で、抜きん出ていたように思います。
もう1人、忘れてはいけないママズ。
可知寛子ママ。
可知さんについては、次のパートで!
お久しぶりの可知を探せ!
いやいや、ほんとにお久しぶりの可知さん。
会いたかった!
グリースにご出演の折、観に行きたかったけれど、スケジュールが合わず断念して。
今回は、ママ役は、もはやプリンシパルキャストでしたね。
キョーレツなインパクトでした。
そして注目すべきは、可知さんの役単体というより、他のキャラクターとの絡みで、ますます面白さが倍増していた点。
特に、ママと娘のバランス。
似ても似つかない親子。
面白すぎる。
いや、そういう設定なんですが、親子で振り子がちぎれてるもんだから、もう出てくるだけで、大爆笑でした。
可知さんファンは必見の作品。
そして、まさかの体育教師。
そんな先生いないよ。
てかそんな人いないよ。
けど、可知さんがやるとなんか成立してる。
ヘンテコな人なのに、なんか憎めない。
上手いです。
ほんと、芝居上手い。
コメディエンヌ選手権ミュージカル女優部門とかあったら、もう日本で三本指に入るでしょう。あと2人、とっさに思いつかないですけど(笑
本当は歌も聴きたいところですが、贅沢は申しません。
そのほかの可知さんを探せ!は、劇場でご確認下さい。
ちなみに、Twitterを探すと、答え合わせもできます。
よくできたプロットをより楽しむために
ブロードウェイで、ヘアスプレーが大ブレイクしてた頃、風の噂で、人種問題を扱うミュージカルは、文化的背景の異なる国や地域では、なかなか上演許諾がとれないと聞きました。
その最たる例が、ヘアスプレーなのだと。
あれから10年近くが過ぎ、関係者のご尽力と、時代や世相の変化で、ついに、ジャパンキャストで観られるようになりました。ただ、ご機嫌で歌って踊ってるミュージカルに見えますが、この作品こそ、時代背景や、当時のカルチャーがわかっていないと、上っ面しか楽しめない作品です。
いや、上っ面でも、充分楽しめますが、でもやはりこの作品の最も優れた点は、プロットなので、そこを楽しんでほしいなぁと思います。
『ヘアスプレー』のストーリーは、エンターテイメントだからこそ成立しています。
魔法もタイムトラベルも出てこない現代劇ですが、現実世界にはまず起こらない。極めて非現実的な世界観を、ショー仕立てで見せているから、成功している作品なのです。
60年代のアメリカ。
ウーマンリブ以前のアメリカでは、エドナのような女性は、当たり前に沢山いました。
現代からみると、1番不思議キャラかもしれないエドナこそが、あの時代のノーマルなのです。
トレイシーは、現代から見ると、普通の女子高生ですが、エドナが当たり前の時代には、かなーりぶっ飛んだ子、です。
また、最大の謎は、トレイシーが社会に蔓延る「黒人差別」の現実に、あたかも今気づいた!というストーリー展開。
トレイシー、高校生になるまで気づかなかったんかい!
ボルチモアですよ!
ボルチモアは歴史的に、アフリカ系住民が多いのに、差別撤廃運動がなかなか進まなかった保守的な土地です。
差別がある中で育つ子が、高校生になって気づくって、どんだけお花畑なの?っていうか、もう最初の設定がファンタジー
♪
トレイシーは、「こういう子が当時のボルチモアにいたらなー」という、妄想が描き出したキャラとも言えます。
トレイシーの持つ、非現実感(お花畑感)があって、さまざまな事件が起こるというのが、ヘアスプレーのプロットの基本の基。
そんな時代背景を少しばかり意識しながら観ると、物語のメッセージがより3Dになって、少しは現実味を帯びて伝わってくるかなーと思います。
残念ながら、有色人種と、白人の違いが、ぱっと見(メークや衣装)で、分かりにくく、ダンスのジャンル感の違いや、音楽で違いを表現しているので、そのあたりは、五感を騒動員で、なにを表現しているのか、感じながら観て頂きたい作品です。
そして、観劇の前後、どちらでも構わないので、是非映画も楽しんでほしい!
で、『ヘアスプレー』は、映画を舞台化した後、今度は舞台を元に映画化されておりまして、やはりおススメは2007年制作の、舞台を元に映画化している作品です。
初期の映画版と舞台を経ることによって、1番作品として洗練された感がありますし、なにより、キャストが豪華。
あの人も、あの人も、出てます!
もちろん、時代背景に対する理解が深まり、より作品を楽しめるようになると思います。
曲の良さと、華やかな雰囲気とダンスだけでも、充分日本で愛される作品になり得ると思いますが、それだけではない作品の世界が、1人でも多くの人に届く事を願ってやみません。
劇場で見逃した方も、映画を是非是非!
おススメです。
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