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【映画】『ネガティブハッピー•チェーンソーエッジ』はB級娯楽映画の衣を纏った深いい話

春馬沼にハマってから、春馬君が出てなかったら、一生観なかったであろう映画とかドラマとか、一生聴かなかったであろう楽曲に出会うようになりました。

映画『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』は、そんな作品のひとつ。春馬君が出てなかったら、絶対観る事はなかったと思います。なにしろ、どう考えても、宣伝文句だけでは、琴線に触れる要素が皆無の作品なのです。

アクション興味なし、SF興味なし、春馬君以外のキャストに興味なし、原作は読んでいない(たぶん一生手に取る事のないジャンル)、人間以外のへんな怪獣みたいなの出てくるの嫌い、怖いの嫌い、学園ものもそれほど好きじゃない、あ、もうこのくらいにしておきましょうか。

でも、春友さんに教えて頂き、たまたまスケジュールが空いていて、勢いで観に行ってしまいました。
観てみたら、想定外に面白かった(失礼を承知で言ってます^^;)
また、春馬君の歌手としての原点かもしれないシーンが観られる映画という意味でも、今となってはとても貴重だと思います。

邦画には疎いので、よくわかってないのですが、この作品はかなりマイナーなのではないでしょうか。春馬君は主役ではないし、春馬君のファンでも、スルーされてる方も多いのでは?と思います。そもそも、キャストのファンか、原作のファンでないのに観たよ、という方いるだろうか?

というわけで、タイトルだけでスルーされそうですが、少しでも多くの人の目に触れる事を願って、レビューしてみたいと思います。

『ネガティブ‥』とはなんぞや

そもそもですね。失礼を承知で言うなら、タイトルからしてヘンテコリンな映画です。
ネガティブでハッピーな、チェーンソーのエッジ(刃)?

?????

意味不明な文字列の上に、長くて噛みそうなこのタイトル、どうにかならなかったんでしょうか。スケジュール帳とかに書くのに、不便ったらありゃしない(笑

要は片腕がチェーンソーの凶暴な怪人が出てくる映画なんですが、でもタイトルが何を表してるのか、観終わってもやはり謎のままでした。

ま、それは置いておいて。

この作品のあらすじは、webにあるものによると、こんな感じです。

平凡な高校生の山本陽介は、買い物の帰り道にチェーンソーを持った男と戦う女子高生の雪崎絵理と出会う。 絵里は、チェーンソー男と遭遇した時から突如常人離れした身体能力が発現し、それ以来不死身のチェーンソー男と互角の死闘を繰り広げているという。

いくら攻撃をしても全く倒せないチェーンソー男をめぐり、陽介の日常が大きく変わろうとしている……。
(Wikipediaより)
何の目的も無くただ漠然と生きている平凡な高校生・山本陽介(市原隼人)はある時、美少女・雪崎絵理(関めぐみ)と出会い現実とは思えない光景を目にする。唸るチェーンソーを振り回す大男が大空から現れたのだ。颯爽とナイフを投げ立ち向かっていく絵理。立て続けに投げたナイフが心臓に命中するが、チェーンソー男は再び空の彼方に飛んで消えてしまった…。陽介はバイク事故で死んだ親友の能登(三浦春馬)へのライバル心から「彼女を守ってカッコ良く死ねるなら最高だ」と考え、絵理のサポートを決意する。夜な夜な“不死身のチェーンソー男”との戦いに没頭していく二人。ある時は、プールで、遊園地で、公園で…。少しづつ心の距離が近づいていく二人。次第に強くなるチェーンソー男。この戦いの本当の意味は?チェーンソー男の正体は?そして、最終決戦の時がやってくる…。(公式HPより)

ざっくり言うと、高校生とチェーンソー男が戦うお話、という紹介のされ方が多いようです。
たしかに、戦いのシーンが何度も何度も、ウザイよ!というくらい出てきます。
でも、回数的なウザさも含め、何度も戦っている事の意味は、最後の最後でわかるんですね。。。逆に、わからなかった人にはほんとにただのチェーンソー男と高校生が戦うだけの映画になってしまうと思います。

いずれにしろ、このネットでよく読まれているであろうあらすじを読むと、チェーンソー男と高校生が戦う話、以上の情報がありません。私だったら春馬君が出てても観に行かないか、あるいは後回しにするであろう作品です。
では実際に観てみたらどうだったのか‥

登場人物たち


主人公は市原隼人さん演じる山本陽介。今時の(と言っても2008年の映画ですが)やる気のない高校生です。
親元を離れて、オンボロな寮に住みながら高校に通っています。
これと言ってドラマチックな事もなく、毎日をただ無為に過ごしている様子。

ある日の帰り道、片腕がチェーンソーの怪物と戦う女子高生、雪崎絵理と出会います。関まゆみさん演じる可愛い&カッコいい女子高生です。強靭な肉体とタフな精神力の持ち主に見えます。退屈な日常に刺激を求める陽介は、頼まれてもいないのに、戦いの手伝いをかって出ます。

陽介と同じ寮に暮らし、同じ高校に通う親友は浅利陽介さん演じる渡辺。彼は陽介とは反対で、根拠レスな自信に溢れ、常になにかに熱中しています。すぐ飽きちゃうけど、とにかく熱い男なのです。

陽介のもう1人の親友が、春馬君演じる能登です。
能登は、見た目は『恋空』のヒロまんまです。公開時期が『恋空』は2007年11月で、『ネガティブ‥』は2008年の1月だから、もしかすると同時期に撮影されたものなのかなぁ。だとしたら、すごいスケジュールですが。金髪はカツラのようにも見えるし、メイキングの劇中歌のレコーディングの映像を観ると黒髪なので、その辺は定かではありませんが。

閑話休題。能登は見た目は金髪のヤンキーで、中身も軽くぶっ飛んではいるものの、いい奴です。ただ、能登なりの正義があって、それに忠実に生きているので、思い通りにならないとムキになって切れるところがあります。何事も中途半端でテキトーに生きている陽介からすると、一本筋が通っている能登は、どこか憧れの存在で、かつ越えられない存在なのです。なぜなら能登は既に亡くなっているから。そのため陽介は心の中で、物語全般に渡ってずっと能登を追いかけています。

プロットの面白さは秀逸

戦いのシーンばかりが注目されがちな『ネガティブ‥』ですが、この作品の1番の面白さは、プロット(=物語の基本設定と話のスジ)だと思います。チェーンソー男も含めたメインの登場人物たちの関係が、話の全てと言っても過言ではない。

まず、わかりやすいところでいけば、陽介と能登は陽介にとってのカリスマが能登です。
どう頑張っても追い付けそうもない目標とでも言うべきか。

絵理は、陽介が能登に追いつくための手段(=チェーンソー男に勝って絵理を守る)を提供してくれる相手。
もちろん、可愛いし、恋のお相手でもあります。と同時に、自分にないもの(=解決しなければいけない問題)を持っている相手でもあります。
とくになにもない陽介にとっては、厄介な問題を抱えている事だけで、ドラマチックで羨ましい事なのです。

陽介にとっての渡辺は、自分より格下の相手。渡辺といる時の陽介は、オフモードでリラックスしています。渡辺は陽介に日々の小さな笑いと癒しを提供してくれる存在です。
それと同時に、自分にないもの(=夢中になれるもの)を持っている相手です。何にでもすぐ入れ込むくせに、すぐ諦めて投げ出して、何事も成し遂げない渡辺を、陽介はちょっと馬鹿にしてるようなそぶりを見せていますが、一方で、なんにもない空っぽの自分にはない彼の「熱」みたいなものをどこかリスペクトしているようにも見えます。

チェーンソー男は、絵理の心の中にドロドロと渦巻いでいる孤独や、悲しみや、理不尽な事に対するやり場のない怒りを具現化した存在です。つまり絵理自身なのです。
絵理はその事に初めから気づいていて、だからこそ戦いをやめるわけに行かない。
自分自信と向き合って解決しなくてはならないと知っているのです。

なぜ、チェーンソーなのかは、映画を観ただけではわかりません。
ここは、チェーンソー男じゃなくても、雪男でも、野獣でも、なんでもよかった気がします。

チェーンソー男は最初は強くて、少しずつ弱くなって、最後はめちゃくちゃ強くなります。この変化は、絵理の心の持ち様を表していると思います。
絵理の心の中のドロドロは、陽介に対して心を開いていく過程で、少しずつ癒されて減って行くのですが、陽介が転校して遠くへ言ってしまうとなった瞬間から、孤独感が倍増するので、ドロドロが増えてしまう。

チェーンソー男との最後は戦いでは、矛先が陽介にも向くのは、それほど陽介が絵理の心の中で大きな存在になった、と言う事を表しているのだと思います。

歌手三浦春馬の原点は『根性なし』?!

陽介が、遠くへ引っ越してしまう日の朝、渡辺ができたばかりの新曲「根性なし」を陽介に聞かせます。
能登が生きていた時、3人は「俺さまーズ」というバンドをやっていたのですが、1人天国へ行ってしまったので、活動休止中だったところ、能登が渡辺に書いてよこしたという詩に、渡辺が曲をつけたという設定です。

陽介の妄想として描かれる、バンド「俺さまーズ」のシーンで、ボーカルを務めているのが春馬君。とてもカッコイイです。
高校にあんなバンドいたら、もう学校イチの大人気バンド間違いなしです。
このシーンのレコーディング風景、バンド演奏の演技指導などのメイキングの映像を観ると、春馬君はこのレコーディングで、かなり緊張してた模様。もしかして、レコーディング初体験だったのかな、と思ったり。そのわりには、シーンの出来栄えは、ホントにカッコいい(他の褒め言葉を思いつかない自分のボキャブラリーの無さに辟易しますが)

このシーン、音楽活動に素人の単なる高校生には見えない、プロのミュージシャンのライブのような映像です。
こういう時の演技に対する瞬発力の良さは、さすが春馬君です。
むしろカッコよすぎて、リアリティのかけらもないシーンですが、そもそもチェーンソー男ですからね。なんの違和感もなく、ファン大満足のシーンになっています。
私は家で見る時は、いつもこのシーンを数回はリピートしてしまう。観ている時の私は、たぶんきっとニコニコしていると思います。

ところで、バンド「俺さまーズ」の歌う「根性なし」という歌のタイトルには意味があります。
陽介が、能登に対して抱くコンプレックスを一言で表す言葉なのです。
どんな事に対しても、一本筋が通っていて、常に攻めの姿勢の能登。それに対して、事勿れ主義で、面倒な事からは逃げる事しか考えない陽介は自分の事を「根性なし」と自虐的に揶揄するシーンが幾度となく出てきます。

能登が書いたとされる「根性なし」の歌詞は、そこまで映画の中で描かれた陽介の日々をまるで見ていたかのように、困難と戦ってきた日々を綴った歌詞になっています。能登が生前に書いた設定だから、陽介の事をわかっていたよ、という能登からのメッセージでもあるのかもしれない。陽介はこの歌を聴いて、初めて周りに流されず自分で行動を起こします。
「根性なし」で、「根性なし」を卒業するのです。

劇中歌にしておくのは勿体ないと言ったら失礼ですが、とてもグッと来る歌詞だし、筋金入りの「根性なし」の陽介を動かすほどのパッションにあふれる曲。演奏シーンは必見です。

この映画が描いているもの

この物語は、陽介に足りないもの、陽介が欲しいと願っているものを、他の登場人物が持っているという関係性から描き出す、というお話です。
それらは物理的なモノではなく、精神的な充足感みたいな世界の話。
その意味では、とても深いし重たいテーマなのに、チェーンソー男が出てきて、ウリャ!とりゃ!とやるおかげで、完全なB級娯楽映画に仕上がっています。そのギャップというか、軽さの重さというか、そのアンバランスさがたまらない映画です。

私は原作を読んでいないのですが、たった2時間足らずの映画なので、おそらく雑な作りの部分もある事と思います。だけど、原作のプロットの良さが、映画にも存分に生かされているし、そのおかげで、青春B級娯楽映画「風」ではあるけど、人間の心の醜さや孤独を描き出す事に成功してると言えます。

この作品のレビューは、映画レビューサイトと読書レビューサイトで、大きくトーンが変わります。
読書レビューサイトでは、概ね高評価なのに対し、映画レビューサイトでは、わりと評価が低い。
原作の小説の評価は高いところを見ると、やはり作品としてしっかり書かれたものであることが伺われます。2001年に書かれてから、映画化されるまでに、漫画やラジオドラマにもなっているそうです。ラジオドラマで、チェーンソー男との戦いをどうやって表現したのか、ものすごく気になるところではありますが、何はともあれ、映画化が2008年でよかった!
そうでなければ、春馬君の能登は見られなかったわけだし。

この作品、宣伝にいい意味で「偽りあり」の作品でした。
まったく予想を裏切られましたが、またひとつ春馬君のおかげで面白い作品に出会いました。

今日もまた春馬君に感謝。

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1月19日。本当だったら、この日はきっとイリュージョニストのレビューを夢中で書いているはずの日でした。せっかく、月命日に初日のイリュージョニストを観ようと楽しみにししていたのに。そんな傷心の中、無性にこの作品のレビューを書いてみたくなり、書き殴っていたこの日、Twitterで2008年の1/19がこの映画の公開日だったと知りました。なんだか不思議なご縁を感じずにはいられません。
正直、レビューを書くのは後回しにしてもよかった作品だったのに(失礼!)、いや、実際後回しにしてたのに、なぜこのタイミングで突然書きたくなったのかしら。
イリュージョニストを見られなかった心のドロドロを吐き出したかったのかな(笑
チェーンソー男が現れなくてよかった。

書いたものは、だいたい2/3は捨ててしまうのですが、捨てる作業に数日かかって、ようやく今日公開できました。

無性に書きたくなる時は、その予感に従ってみると言うのも面白いなぁと思った体験。
これもまた春馬君のおかげです。

春馬君ありがとう。

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