「作る喜び」を得られない画像生成系AIを楽しんで使うには?

過去記事で、画像生成系AIでは作る喜びは得られないと書いた。

基本的に、Midjourney等の画像生成系AIで得られるのは、宝くじやパチンコなどで得られるような「ガチャの喜び」であり、自分の頭や手を動かして得られる「作る喜び」ではない

今後、生成された画像のオブジェクトや構図、タッチ等々を細かくカスタマイズできるようになってくれば、作る喜びも得られるようになるかもしれないが、現時点では画像生成系AIで作る喜びはあまり得られないと言って良い。

とはいえ、作る喜びが得られないからといって、AIに頼らず、自らの頭と手で作品づくりを続けていては、AIを利用した作品制作者の生産性には敵わない。

悲しきかな、資本主義社会が求めるのは「安い・上手い・早い」なので、好む好まざるに関わらず、AIを使って作品制作しないと生き残れない

では、作る喜びを得られない画像生成系AIを、どういった心持ちで使えばいいのだろうか?

私は、画像生成系AIを「超優秀だが言われたことしかできないポンコツ新入社員」として捉え、自分がディレクターとして成長する喜びを得るために使えばよいと思う。

画像生成系AIは、超優秀なので適当に指示してもいい感じの結果を返してくれる。「なんとなく違うけどなんとなくいい感じ」の70~80点の作品を数秒で作ってくれる。正確に細かく指示できれば、80〜90点ぐらいの作品を作ってくれる。

しかし、自分が手を動かして作っていない以上、自分の頭の中のイメージを100%再現することはできない(たとえ自分が手を動かして作ったとしても自分が作りたいものを100%再現するのは極めて困難)。これは、たとえ画像生成系AIが本物の人間の超優秀な新入社員だったとしても同じ。100%自分の頭の中のイメージを再現させることはできない。

ディレクターの役割は、ある程度人任せで、かつその人のポテンシャルを最大限引き出し、求める成果物を出すことだと考えられる。なので、100%頭の中のイメージを再現できないのは当然だし、結果の曖昧さは自分のディレクション能力の低さとして受け入れる必要がある。

画像生成系AIでの作品制作は、このディレクション能力を高めるのに最適であるなぜなら、抽象的な「頭の中のイメージ」を言語化し、AIに伝えて可能な限りズレなく具現化させないといけないから

ちなみに、画像生成系AIでは80~90点ぐらいの作品しか作れないと書いたが、自分の想像の範囲外の100点オーバーの作品が出来上がる可能性もある。これが他人任せ(AI任せ)の作品制作の面白いところである。

なので、何でもかんでも自分でやったほうが良いものができるという考えは間違い。他力本願の方が良い結果が得られることもある。自分の能力を過信しすぎない方がいい。

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