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サマソニ'24 記録

 星野源が踊っていた恋ダンス、なんて寂しそうな顔で踊るんだろう、と思いながら、夕方になっても残る日差しが暑くて仕方がなかった。同時にスクリーンに映るお客さんの笑顔があまりにも真っ直ぐで、今度はかなり嬉しくなった。そんな客観的に見ているわけにも行かず、恋ダンスの振り付けは覚えていないけれど体をクネクネと、そうクネクネとしていた。楽しかった。そうか、星野源は諦めた顔で恋ダンスを踊る、そういう覚悟を決めたのだろうと思った。

 以前「うちで踊ろう」のロングバージョンをテレビで披露していた時、目だけ一切笑っていなくて、その星野源の"戦い方"にいたく感銘を受けた。こんなにも踊れて口ずさめる歌に、ショート動画で散々擦られた歌に、「皆一人だと諦め進もう」と歌っていて、凄味というか、覇気に気圧された。その後に出した曲も「創造」、「CUBE」、「不思議」、「喜劇」とDAW的思想で作られた新境地と、優しくお腹をパンチするようなスローファンクの間を「ポップ」でなんとか繋ぐようにリリースを重ねていて中学生ぶりに星野源に入れ込んでいた。
 
 彼はあまりライブを開催しないから、先日のサマソニは待望だった。そこにいた星野源に先述した「凄味」はなく、どこか力の抜けた、2016年くらいにどこかのフェスで見た星野源に近かった。ただその一周回った佇まいは曲の持つ核を素直に出力していて、「地獄でなにが悪い」や「SUN」の明るい曲調に反するどこまでも続く寂しさ、「POP VIRUS」の"YELLOW"を突き詰めたノリ、と星野源の彼らしさを感じるたびに泣きそうになっていた。同時に私と星野源のステージの違いというか、正直全く地続きじゃねぇなと思った。

 私はサラリーマンで、彼はロバートグラスパーを呼んだりトムミッシュと曲を作ったりする。「喜劇」、彼の指す「生活」は私のそれとベン図では被っていないと思うが、それでもレイドバックするボーカルとタイトな楽器が織りなすムードに体を揺らさずにはいられない。この距離感は星野源が「Hey J」と歌ったものに近いと思う。歩み寄れない幅を同じリズムが埋めていく感触。だから恋ダンスで違う表情で同じ踊りをした星野源と観客の皆を見て、嬉しくなった。僕とあなたは違うし、抱えていることも別だけれど、同じ踊りでこの1時間を取り繕うことができる。そういう1時間を作る覚悟が星野源から見れて、彼は凄く良い塩梅に落ち着いたのだと思った。

 獰猛な星野源が好きだったので、少し寂しい気もするけれど。そんな星野源に最後に「悲しいことばかりですよね!!??」「でもまた笑顔で会いましょう!!」と、真っ直ぐに、愚直に話しかけられて少し泣いてしまった。届かない距離だと思っていたらふと肩を叩かれたようながしたのは多分私だけじゃないし、友人もグッときていたようだけど、こう心が真っ直ぐになってしまったのは星野源が真っ当なポップスターを振る舞ってくれたからであって、それに対して私が持てる感情は"感謝"くらいしか無い。


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