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黒い表紙の悲しい書物となって……

                   愛しい人、愛しき人よ、秋が
      猟師の角笛を吹いている
      空と大地をヴルーベリは色とりどりに塗り
                   そして死を運命づけた
      愛しい人、愛しき人よ、見張りに立つ
      赤熱した矢は だれの弓か
      紅い羽をあつめるは風
      占いのために
      いかなる国々へと我らに道を示すのか
      よそ者の定める的は?
      愛しい人、愛しき人よ、我らに秋が
      不吉な角笛を吹いている
      そして風の緩慢な銅のタンバリンも
      道のはざまに
                    (1921)

ナターリヤ・ペトロヴナ・クグーシェワ(1899-1964)とロシア語で検索すると、この風変わりな衣装を着た写真が多く出てくる。不思議な帽子をかぶったこの姿は、詩人の特別な顔なのだろうか、好奇心を秘めた大きな目でこちらをじっと見つめている。作家のカヴェーリンはクグーシェワのことを「信じられないほど大きな目をした、悲しそうな猫背の女性」と書いている。「元公爵令嬢で、真の詩人だと言われていた」とも。

18歳で革命を迎えた彼女の人生は波乱に満ちたものとなる。革命を挟みつつも充分な教育を受けたのちに図書館員となった彼女は、才能ある若手詩人として、いくつもの文学サークルやグループ、詩の会、そして詩人同盟や作家同盟に籍を置く機会にめぐまれたが、なぜか本人は常に自分を否定的にしか語らなかった――「モスクワ生まれ、ずっとモスクワ暮らし、学校もモスクワ、仕事もモスクワ……単行本は出ていません、たまに作品集に載るだけ。ここ数年はずっと詩を書いています」「恐ろしいほど気がふさいでいる。どこにも自分の居場所がないという、すごく破滅的な気分。自分が大嫌い、肉体的にも自分のことを醜いと感じている」「なぜ多くの人が私のことを愛してくれているのに、私生活はうまくいかないのだろう? なにか耐えがたいほど憂鬱で、気が沈んで、孤独」

その後の人生の労苦を予感していたのだろうか? プロレタリア作家のミハイル・シヴァチョフと結婚するも、彼は1937年に死去。二番目の夫となったグイド・バルテル(彼は革命後のソ連で火葬を普及させるために活動した専門家)は、1941年の独ソ戦がはじまるとドイツ人であることを理由に逮捕され、カザフスタンへ送られる。クグーシェワも夫を追って行き、1956年までそこに暮らした(夫は1943年に獄死したが、クグーシェワが夫の死を知ったのは3年後のことだった)。彼女は自分がロシア人であることを証明できず、ドイツ人だと疑われて、夫の死後も20年間隔離されていた。

困難な人生にずっと付き添ってくれたのは「詩の雲」、つまり、天高く空想の世界を開いてくれる詩の世界だったと、のちに語っている。

ブロークが革命の音楽を聞いていたとき、クグーシェワの耳には「不吉な角笛」の音が響いていた。彼女の予知能力はブロークの夢想よりも的確だ。

1924年の詩「私はあなたのことを書いている」は、

これらの詩行は/私がいなくなってもここに残るでしょう/黒い表紙の悲しい書物となるでしょう/地上の愛をめぐる悲しい書物に……

とはじまる。ほぼ100年が過ぎ、遠い未来となった今、この記事を書く私の手元には、黒い表紙の詩集がある。

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