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眼鏡の呪い……?

6年ぶりに眼鏡を新調した。これでようやく仕事もはかどることだろう。もう何もかもを、度が合わなくなり、つるが緩んだ眼鏡のせいにすることはできない。しっかりと顔にフィットした眼鏡はストレスがない。凄腕の職人さんのお世話になっているので、私にとってはやや高価だがすぐれもの。一人ひとりの顔に合わせて、小一時間もかけて丁寧につるの曲がり具合などを調整してくれる。そうして手渡された眼鏡には、毎日欧文を長時間見る身としてはお金に換えられない快適さがある。

もともと私は眼がいい(見る眼があるということではない)、視力がいい、今も1.2くらいは維持している。だからこれはいわゆる老眼である。40代に入ってから一気に遠視が加速してしまった。

初めて眼鏡を作ろうと眼科に行ったときのことはしっかりと記憶している(つまらないこともいつまでも覚えているので政治家には向いていない)。近所の眼科医院には評判のいい女性医師がいて、確かに印象も対応もとてもよかった。私の遠視は平均的にみるとたいしたものではなく、眼鏡がなくても日常生活に支障はない。だけど、だけれども、露和辞典が読めない。あの頃はアプリの露和辞典などまだなかったから紙の辞書を引いていた。小さい、ああ、字が小さい、なんだこれ、лとпが区別できない……苛つきながらも、眼鏡を作るという考えにはなかなか至らなかった。

眼科の診察室では「けっこう見えてるんでしょう?」と言われた。はい、生活には困りません(それにしても「生活」ってなんなのだろう?)、でもね、これなんですよ、と、私はいつも持ち歩いている露和辞典を鞄から引っ張り出して医師に見せた。これを仕事で一日中見なきゃいけないのです、見えないんです、と訴えた。「ああ、わかりました」とペンを置き、こちらに向き直った医師は「ちょっと高めだけど、いい眼鏡店があるからそこで作ったら? 強制はしないけど」と、ご贔屓の職人さんを紹介してくれた。

いわゆる「中年女性」の眼鏡は男性のものとは違って妥協して作られる場合があるからだという。仕事も勉強もしていない年齢だし新聞やテレビを見るくらいだろうと判断されると、あまり精度にこだわらない可能性がある、だから「私は仕事で細かい字を凝視するからと強く言いなさいね」と念押しされた。そのおかげもあってか、10年を超える眼鏡生活はなんとか順調に仕事を続けられている。それもしても、それにしてもである、眼鏡ひとつにまで……中年の、女だから?

女と眼鏡、とくればもうひとつ思い出すことがある。

昔むかし、今は亡き母の視力が著しく落ち始めたことがあった(脳腫瘍のせいだ)。晩年は眼鏡をかけて闘病中のベッドの上でクロスワードに励んではいたが、それまでは「見えにくい」「よく見えない」と言いながらも頑として眼鏡を使おうとはしなかった。なぜなら、ある人物(私の父親、またの名をロクデナシ)が、「女は眼鏡をかけてはならない」と言っていたからである。理由は「可愛くない」し、眼鏡は「教養ある男」のものだからだ。そういえば、母がぷつりと何かが吹っ切れたように、ロクデナシの機嫌をうかがわなくなった時期と眼鏡をかけるようになった時期は重なっている?

ちなみに、「女は働いてはならない」と言っていたのもこの男だ。そいつのせいだと確信しているが病んで早世した母を弔うように、私は今日も眼鏡をかけてせっせと働いている。でも、ふんっ、と鼻息を荒くしてみても、幼い頃から耳にしてきたこうした呪いの言葉が、澱のように自分の体内に沈殿していて、時折どろりと毛穴からこぼれ出てくる。それをファミレスの紙ナプキンでサッと拭って汚れた皿と一緒にさげてもらうと、いつも少しだけ気分がすっきりする。

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