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子供の成長と見守りと運

こんばんは。
今日は、子供が無事に成長してくれているのは、運が良かったから、と思ったことについて。

家族で車で出掛けている際、夫が運転して私が助手席に座っていました。初めて通る道で、そこそこ交通量もあり、歩道と車道がハッキリと分かれている道でした。

走っていると、1歳くらいの子供が家の敷地から出てきて、歩道から車道に出るかどうか、という姿が見え、直前で停車、ことなきを得ました。たまたま対向車線も、後続車もいなかった。

私は助手席から降り、子供を抱えて歩道へ。
その時同じくらいの年頃の子供がもう1人家から歩道に向かっており、ママが子供たちの名前を呼びながら探している様子で、家から出てきました。

私が子供を抱えている様子を見て、全てを察知し、顔を崩しながら、
「すみませんっ」と。
私も動揺していたため、
「車道まで出ていましたよ、でも、(何事もなくて)良かった」
とだけ伝え、後続車も数台たまっていたため、車へ戻り、去り際にお母さんへ向け、笑顔で手を振ることしか出来ませんでした。

お母さんの気持ちを考えると、もっと違う言葉をかけてあげるべきだったと思います。
表情から推察する限り、子供達のお母さんは見守りきれなかったことで、自分を責めていたでしょう。

万全にしているつもりでも、ほんの一瞬目を離しただけでひやっとしたこと、自分の行動のせいで子供になにかあったかもしれないと怖い思いをしたこと、子育てをした人なら、いくらでも体験しただろうと思います。

子供達はおそらく双子でした。
歩き始めて、歩くのが楽しい時期、という感じ。
子供の行動は予想の範囲を簡単に超える。
どんなに一生懸命に育て、見守っていても、何があるかわからない。
我が子たちが成長してくれているのは、たまたま、運が良かったのだ、と心底思います。

そして、よちよち歩きの可愛い子たちが、目に入る範囲で、大丈夫かな、心配だな、と思う時は、親の気持ちになって、目を離さず、カバー出来るような行動をこれからも取り続けようと思いました。

どうか、今日会ったお母さんが、自分を責めずに、今夜休めていますように。

お母さんやお父さんだけでなく、他の大人も子供の未来を守るために存在しているのだから。


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