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反芻思考の正体



前回の記事と、最近の自分をふと考えたら、

私は「反芻思考」に陥っていると思った。

たしかに思ったことは間違いではないし、そういう自分になりたくて、毎日習慣化を試みている。

これ自体は別に悪いことではないし、悪いことをやってるわけでもないからいいんだけど、


怖いのは、自分でそういう状態になっていることに気づけないことだ。

なぜ、気づけないのだろうか。
「自分を客観的にみる」ことがやはり難しい。


今回、どうしてこんなふうに思ったのか?を深掘りすると「自分が失敗と思ったこと」がこびりついていたせいだった。


これが自分に問題があると思って(実際それもあるけど)、治したいというところにいったのだけど、気づくにはやはり「他者の視点」や言葉が必要になる。


感情や思いを紙やnoteにひたすら書き出したりしたり、瞑想をして「今」に集中できるようになったからなのか、人に話したからなのか。


全部やってやっと今の自分が「反芻思考」に陥ってるのに気がついた。
そして原因もわかった。

たった一人の人の影響だった。


障害者雇用で入った私に、仲良くなろうとしてくれた異性がいた。

その人がどんな思いで、気持ちで仲良くなろうと思ってくれていたか知らないけど、私は「好意」を感じたし、抱いてくれていると思った。そしてそれを全て恋愛につなげてしまった。(言葉の端々に思わせぶりなこと言われたのもあり、すべて素直に恋愛に繋げてしまった)


そして2人で出かけたりしたけど、なかなか実態というか、掴みどころのない人で、本心をあまり語ろうとしないし、何を思ってるのかいまいちよくわからなかった。けど気遣ってくれるし、優しいところもあった。
(勝手に好き避けかと思ったりしてしまった)


しかし、その人が社内の他の人に接近しているのを見てしまい、「なぜ?」と勝手に嫉妬した。
そんな疑いの気持ちのままその人と話をすると、もう上手くいかない。
思ってた人と違うと、何を考えているんだと、心の中で思いながら話したって、無理してるだけだった。

きっと色んな人にそんな対応するのが、その人の本来の姿だったんだろう。私に対しても別に特別扱いしてたわけではないのに勝手に落ち込んだのだ。

自分で自分にバカじゃんって思った。なんて頭がお花畑なんだろう。

そこですぐ切り替えられたら良いものの、なかなか出来ず、家族に話したり、紙に書いたり、この感情の正体を調べたりしてずーーっとぐるぐるしていた。

そもそもその人自体をよく見ようとも知ろうともしなかった。自分のことしか見えてなかったのだ。
恥ずかしい。とても失礼なことをしていた。

しかしその人が、私にとって大きな影響を与え続けていた。
そんな自分の現実に気がついてしまい、少し距離を置きたいのに、訳あって避けられない状況が続き、その人に対して「少し嫌な気持ち」で、無理して対応し続けてしまったことで、さらに相手に対して失礼なことをしてしまい、そらからネガティブ&反芻パラダイスだ。

「無理している自分」に気づいているのに、その人には「普通の自分」でいるように、なるべく気をつけていたけど、自分の正直な反応が相手に出てしまうのが嫌だった。


もとから人付き合いが悪すぎて、人に対しての経験値が少ないせいもあるだろう。
「どんな人か?」っていう人を見る目みたいなものが、あまりないからっていうのもあると思う。


けど今回は、そもそも「その人を客観的にもっと見れていなかった」のに仲良くなろうとしてくれて嬉しくて、それに応えようとしてしまったという自分の反省。
たとえ好意を持ってきてくれたとしても、相手をまず知ろう、という気持ちが大切だと知らせてくれた。

それに、「障害者だから」なんて思ってた私に仲良くなろうとしてくれた。それは私のコンプレックスを少しずつ取り払ってくれた。

そして素の自分を、1人でも会社の人にも出せるようになったのは、少し恥ずかしいし自分の嫌なところも見てしまうけど、でも嬉しかった。

その人にまず素を出せたから、他の人にも少しずつ素が出せたと思うので、それも感謝したい。
ありがとう。勝手に嫉妬して、酷いこと言ってごめんなさい。

すぐに謝れなかった分、心の中で何度も謝ったけど、また言った後にやっちゃった、と思ったら、相手のこと好きでも嫌いでも、気づいたらすぐに謝ろう。


素直が1番!!
正直で良い!!

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