第5話 彼女の正体は…

李さんの親戚のうち1人が体験した話。彼がスコットランドで働き始めてから数か月しか経っていない頃のこと。彼は非常にバイタリティーに溢れた人であり、今でも元気にスコットランドという見知らぬ土地で働いている。しかし来たばかりの頃の彼はスコットランドの訛りに慣れず、訊き返すこともしばしばだった。そんな状況でもめげずに仕事をがんばっていた彼は、日々の疲れも重なって重い風邪をひき、1週間ほど入院することになった。場所はグラスゴーから少し離れた町の病院。病室の中で東洋人は彼だけだった。入院中、他の患者や医師、看護師から奇異の目で見られることはしばしば。ロンドンのような大都会とは環境が異なる。近くにグラスゴーのような大きな町があるといっても彼が住んでいたのは田舎町。白人社会の中での東洋人は立場が非常に心許なかった。
そんな心細い入院生活の中で心の支えとなったのが、看護師のグレースさんだった。彼女はアメリカのサンフランシスコ出身であり、日本人とのハーフだった。スコットランドではお互いによそ者であり、お互いに日本にルーツがあるということもあったので、彼女は仕事の合間に頻繁に彼に会いに来た。
「ウチの子供は最近動き回って大変」
「旦那の仕事が忙しくなって、帰りが遅くて寂しい」
家族がいる彼女はそんな悩みを彼に話すことで気を紛らわしているようだった。彼女の話はおもしろかったので、聞き役の彼はむしろ彼女と楽しい時間を過ごすことができた。

もちろん入院中だったので、楽しい思い出ばかりではなかった。久しぶりに休養できたとは言え、基本的にはベッドの上で安静にしていなければいけなかった。しかもこの退屈さに加え、彼は周囲の人から「この病院には幽霊が出る」という噂を聞いていた。そんな幽霊話を聞いても簡単には信用できなかったが、彼はなるべく夜にはベッドの上で早く眠りにつこうと努めた。
それでもトイレに行くために夜の病院を歩いたのが、入院してから2日目のこと。彼の部屋はナースステーションから遠い位置にあった。部屋を出て右にずっと歩いてから右折した先がナースステーション、部屋を出て左に行った後左側にあるのがトイレだった。その晩彼は静かに病室を出た。月明かりがきれいな夜、足音を立てないように歩いていると、目の前に人影があった。それは透き通るような白い肌とガラス繊維のような金髪のストレートヘアーの女性。年頃は高校生くらいだったそうだ。
「これが噂に聞く幽霊か」
そう思った彼は彼女の注意を引かないように息を殺しながら歩いた。現実の人間であればそんな必要はなかったが、彼女の佇まいが生気を感じさせなかった。彼女は廊下の窓から月を眺めながら悲しそうな表情を浮かべており、それが清楚で美しかったのが印象的だった。トイレからの帰り道も彼女は同じ姿勢のまま立っており、彼は急いで病室へと戻っていった。

手厚い治療のおかげで彼の身体は順調に回復していき、彼は予定通り退院できることとなった。病院では相変わらず彼は一部の人たちから奇異の目で見られた。しかしグレースさんと話せる期間が短くなっていくにつれ、また忙しい日々が戻ることを考えると、彼は退院することに一種の残念さを感じずにはいられなかった。何晩か夜に目を覚ましてトイレに行き、そのたびにあの透明感のある美女と出会った。それでも日ごとに彼女の存在が気にならなくなっていった。

退院の日、完全に体力も気力も回復した彼はナースステーションで手続きをし、「最後にグレースさんにお別れの挨拶をしたい」と受付の看護師に告げた。受付にいたのは、年配の看護師。彼女は顔をしかめ、
「ちょっとだけ、お時間よろしいですか?」
と言って彼女は彼を連れてその場を離れた。行った先は人気の少ない廊下のベンチ。彼女はそこでこんな話を始めた。

その看護師がまだ若手だった頃、今から二十数年前のこと、アメリカから1人の看護師が来た。彼女は元来明るい性格だった。しかし文化や言葉の違いが大きく、彼女自身にアジア人の血が入っていたこともあり、あまり周囲と馴染めなかったそうだ。またそのアメリカ人看護師は当時子育て中ということもあり、そのストレスが大きかったようだ。やがて彼女はアルコールへと走り、ついには身体を壊して亡くなってしまった。そのなくなった看護師の名前が、「グレース」だった。
「私たちも、彼女のためにもっと何かしてあげられたらよかったんですけどねぇ」
その年配の看護師は今でもそのアメリカ人看護師の死を引きずっていた。
「そういえば、彼女の娘さん、今日が退院日だわ」
年配看護師の話によると、彼の入院中、ちょうどそのアメリカ人看護師の娘も入院していたとのこと。その娘さんは彼の隣の病室、きれいなブロンドのストレートヘアーと透き通るような白い肌の持ち主とのこと。入院時、その娘さんは高校生だった。すると、毎晩窓越しに夜空を見上げていた彼女は生身の人間であり、入院中に彼の心の支えだったグレースさんが幽霊だったことになる。彼自身が奇異の目で見られていた理由のうち1つが解決した。
「グレースさん、娘さんに会いに来てたのかしら。そこにあなたがいたから、彼女、あなたに話しかけたのかも」
それが年配看護師の見解だった。彼は最後に年配看護師にお礼を言い、亡くなったグレースさんに対する共感を覚えつつ、病院を後にした。


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