第8話 正夢

李さんの親戚の孫かひ孫が体験した話。彼がまだ独身の頃、某地方都市にある工場で働いていた。工場とは言っても敷地内にはオフィスがあり、彼はそこで研究開発の仕事をしていた。当時彼は職場から少し離れた場所にある社員寮に住んでいた。寮は比較的大きく、個室は満足できる広さ。共用の風呂や食堂があり、不自由ない生活を送ることができた。そんな快適な寮に関して唯一不満だった箇所が、会社と寮との通勤経路。会社と彼のいる寮との間には大きな公園があり、通勤の際はその公園を迂回しなければいけなかった。会社は近隣住民への配慮から公園内を通ることを認めていなかったのだ。それでも寮に住んでいる人が全員その通勤の規則を守るわけではなかった。行きこそ規定の迂回経路を通るものの、仕事で遅くなった際に公園を通って近道をする者は多かった。特に繁忙期には会社も積極的に通勤経路についてうるさく言う余裕がないため、彼もまた長時間残業をした際は公園を通らせてもらっていた。

入社して2、3年が経った頃だろうか、彼はある夢を繰り返し見るようになった。その夢の中で彼はその公園を通っていた。時間帯は夜、公園には電灯が点いているので、周囲は明るい。それでも遊歩道の両脇に立ち並ぶ木々は闇を濃くし、周りの不気味さを際立たせ、恐怖は彼を急き立てた。途中、前を歩く女性の後姿が彼の目に入る。すらりとした体型に黒のストレートヘアー、薄いエメラルドグリーンのブラウスが清楚さを物語る。彼の身長は180センチ代半ば。その彼よりも彼女は頭一つ分低い程度の身長だったから、彼女は女性の中で背が高い方なのだと思う。彼は彼女の左側を通り過ぎようとする。通り過ぎる途中で彼女はゆっくりと彼の方を振り返ろうとする。顔が見えそうになる直前で、いつも彼は目を覚ました。

その夢は数週間から数か月おきに繰り返された。夢を見始めた頃、彼は「何か災いの兆しかもしれない」と思って気にしていた。だが夢と夢との間隔が長かったこと、また周りで特に何も特別なことがなかったため、だんだんと彼は夢のことを気にしなくなった。むしろ「夢の中の女性が彼の運命の人かもしれない」などと想像しながら、夢を見るのを楽しみにしていたこともあったそうだ。

ある日、その夢は現実のものとなった。その頃彼が担当していた業務が佳境を迎え、同僚と共に連日長時間残業に追われていた。その期間は会社と自宅との往復ばかり、彼は帰宅時に毎日その公園を通過していた。
その日も彼は夜遅くに公園の遊歩道を歩いていた。いつもはたまに彼と同じように帰宅が遅くなったサラリーマン風の男性、酔っ払い、ごく稀にカップルを見かける程度。彼以外に誰もいないことの方が多かった。しかしその日、彼の前を歩いていたのは、薄いエメラルドグリーンのブラウスを着た女性。彼がときどき見る夢に登場する、あの彼女と目の前の通行人の特徴は合致していた。だんだんと縮んでいく、彼と彼女との間の距離。最初、彼は彼女の左側から抜けようとしていた。夢の場合、彼が追い抜かすところで彼女は振り返る。しかし彼女に近づくにつれ、彼は夢と現実があまりにも酷似していることに違和感を覚えた。遊歩道は十分幅が広く、彼女はその中央付近を歩いていた。彼は途中で方向を変え、彼女との間の距離を十分開けつつ、右側から追い抜いた。その日、彼はついに彼女の顔を拝めずに終わった。

数週間が過ぎた。業務は峠を越え、帰宅時間も通常通りに戻った頃のこと、彼は再びあの夢を見た。光景はいつもと同じ、夜の公園を歩いている彼、前方に現れる彼女の後姿。彼はいつも通り、彼女を追い抜こうとする。このときも、左側から。いつもは彼が追い抜くところで彼女の首がゆっくりと回り、こちらに顔を向けようとする。しかしこの日、彼女は振り向く気配がない。その代わり、
「どうして」
と、か細い声が聞こえた。いつもとは異なる展開に驚く彼。それでも夢の中の彼はそのまま歩き続ける。すると、彼女は突如振り返った。初めて見る彼女の顔、それは血の気がなく、死人のように青い顔。その眼は眼球全体が鮮やかな赤色に染まっていた。細い顔には怒りの形相を浮かべ、彼を正面から睨みつけていた。彼女は身体ごと彼の方を向いた。次の瞬間、彼女は彼の首を強い力で絞め始めた。先ほどのか細い女性の声ではなく、太い男性のような、怒気を孕んだ声で、彼女はこう言った。
「どうしていつもとは違う動きをした! 次は逃がさないぞ!」

その日以来、彼はその夢を見ていない。結婚して寮を出るまでの間、彼はどんなに遅くなってもその公園を通らなかったそう。


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