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走り(run)から歩き(walk)へ

私が走り始めたのは、横浜の長津田でアパート暮らしをしていた時である。
修士論文が上手く進まず、十二指腸潰瘍にもなってしまった。
医者からは入院を勧められたが、痛みは薬で誤魔化して、ストレス発散に近くの恩田川の土手を走り始めた。
少しずつ距離を伸ばし始めて、横浜線の隣の十日市場駅近くまで行って戻っていた。
結局、修士論文は上手く纏まらず、教官や先輩からはもう一年頑張れといわれた。
しかし、精神的にも身体的にも追い詰められていた自分は、もう一年同じ暮らしが続くことに耐えられないと思った。
というのも、当時はひも暮らしで、妻に支えられていたからだ。
結局その妻にも見限られ、出て行かれた後、精神安定剤を飲みなからも、走り続けていた。
土手沿いに咲く菜の花を見ながら、走る時だけ心の痛みを忘れることが出来た。
その時、色んな人に支えられて、癒やされていったが、自分自身で癒やしたのはランニングだったと思う。

心機一転、出直すつもりで地元に帰り、教員採用試験を受けた。
採用試験の1次以降は臨時講師をしていた。
休日は、一人過ごすのが辛くて、走ったりプールに行って泳いだりした。
臨時講師と言っても、途中からだったので、外国研修や病欠の先生の代理だった。
そんな中で、地元の中学校では陸上顧問の代理もして、生徒と学校のお回りを走った。
女子生徒の場合、私よりも遅い生徒がいて、追い越したりして、却って嫌われてしまった。

何とか、採用試験には補欠合格して、初任は知的障害の特別支援学校(当時は養護学校)だった。
その学校では、体作りとして、毎朝児童生徒と一緒に走った。
小学部から高等部に移ってからは、必修クラブでも陸上部の顧問として、一緒にトレーニングした。
教師の中には、陸上の専門の人がいて、誘われて町のマラソン大会にも出た。
その大会は、ハーフが最長で、5kmもあったので、最初はそちらに出場した。
最後の上り坂はきつくて大変だったが、何とか22分ほどで完走できた。
翌年は10kmに出たが、50分もかかってしまった。
この程度の走りで、元陸上選手とは比べものにはならなかった。

次に赴任した職業高校でも、時間を見つけては、町の中や川沿いを走り続けた。
クラブは剣道部を指導したが、生徒と一緒に走ったりもした。
3校目は肢体不自由の特別支援学校で、軽い脳性麻痺の生徒と、訓練の一環で授業中に一緒に走った。
その生徒は障害も軽く、距離は長いのは無理だったが、スピードは私よりもよほど速かった。
当時は休日などでは、午前中はランニングすることが多くて、20kmほど走ることも月に1度はあった。
とにかく走ることが一番の楽しみだった。

やり過ぎは何でも良くなくて、ちゃんと体重も落としてなかったこともあり、足を故障し始めた。
そこで、子供が通っている時にしていた、太った体でもできる水泳の方にシフトした。
4校目の総合高校では、水泳部の顧問もしたが、自分自身もマスターズの水泳教室に通って練習した。
5校目も水泳中心の生活となり、走ることからは遠ざかってしまった。
6校目は初任と同じ知的障害の特別支援学校だったので、走ることは授業の中でするようになった。
再び、走る意欲が湧いてきて、走ったり泳いだりとスポーツ漬けの日々が続いた。
それがまた落とし穴になった。

水分補給とエネルギーチャージの意味を込めて、当時体脂肪を燃やすと言われたVAAMを飲みながら泳いだりしていた。
いつの間にか、糖尿病になり、医者から「あんた死ぬで」と言われるまで悪化して教育入院までした。
入院中は走ることは出来ず、ひたすら歩いた。
退院後は、自転車や走り、泳ぎとトライアスロンに向けて頑張ったが、出場は出来なかった。
そもそも、トライアスロンに使えるような自転車は買えなかった。

普通高校に移ってからは、高校近くの海辺を勤務時間が終わってから走り続けた。
河口から海岸に抜けていくコースは最高だった。
そこで、また故障を起こした、今度は脱腸だった。
サッカー選手が良くなる病気らしいが、手術を受けて治療した後は走るのは諦めた。
そして、残された泳ぎと歩きが私の楽しみになっていった。
現在は残念ながら水泳はできていない。
もっぱら飼い犬との散歩がメインである。
散歩は一時間以上かけて毎日、小雨決行である。
散歩によって、心身共の健康を何とか維持している。
脱腸は片方だけだったので、もう片方なる危険性があるので、昔のような走りは無理だと思う。

ただ、ウォーキングの欠点は、うだうだものを考えてしまうことだ。
家の中にいるよりはよほどましなのだが、以前更年期障害のような症状の時は、歩いていても憂鬱だった。
走ったり泳いだりしている時は、物思いにふけることはあまりなかった。
ちょっとましなことは、手のかかる愚犬(保護犬だった猟犬)が一緒ということで、そっちに気が行くということだ。
以前に一緒の職場にいた人が、散歩のために犬が欲しいと言っていたのも分かるような気がする。
走りと違って良いところは、同じように歩いている人と挨拶したり、場合によってはお話ししたり、知りあいが出来ることだ。
これからは、歩きを発展させて、山歩きにも挑戦しようかとも思っている。


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