私にとってのインターネットミーム

はじめに

いきなりですが、みなさんは好きな言葉がありますか?
名言・格言集を開いてみれば、偉人たちのありがたい言葉がずらりと並んでいることでしょう。
ちなみに私はガンジーの「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ」という言葉が好きです。

さて、私は言葉には思想が宿るものだと思います。
私たちが言葉を好きになるのは、その言葉が、いつ、どこで、どうして、誰に、発されたのかを知っているからでしょう。格言を聞くと無意識にその出どころがぼんやりと浮かぶではないでしょうか。
上のガンジーの格言であっても同じことです。ガンジーは大衆のリーダーとして大義のための運動を指導しました。その背景・物語をぼんやりと知っているから感動できるのでしょう。仮に道を歩いている時に全く知らない人にこの言葉を投げかけられたとしても、いい言葉だなとは思っても、生涯の教訓にするほどの衝撃は受けないと思います。
長くなってしまいましたが、本来記号の羅列に過ぎない文章に、意味や思想を見出すことができるのは人間の素晴らしいとこですね。

そして、人間は他人の言葉を復唱するのが好きな生き物です。
よく声に出して読みたい日本語とは言いますが、実際に口からその音を出してみることでわかる響きなどがありますよね。
復唱で、人間は一時的に精神的な一体化を得て、言葉に支配されます。
だから、人間は語録にハマるんですよね。

語録と言ってもお隣の大国で発行されていた赤いハンドブックではありません。
アニメやネット文化の場ではよく語録が生まれます。
語録とは、秀逸と思われるセリフや言い回しを構文化したもののことです。
私もよく機動戦士ガンダムのセリフなどを流暢に使ってしまいますが、要はこういうことですね。
以下では私のインターネットミーム自分史を紹介しましょう。

インターネットミーム自分史

小学生の頃といえば、やはり専らyoutubeがネットミーム発信の場でした。
YouTubeに転載されていたニコニコのドナルドMADなどを見て覚え、学校や放課後に真似していた記憶があります。友達間で共通した認識を持っているのはやはり心地が良く、ミーム汚染されているとも知らずに楽しく日々を過ごしていました

中学生の頃もやはりyoutube。
「ハリーポッターを吹き替えしてみた」という動画が仲間内で空前の大ブーム。適度に下ネタが混ざっていることもあって私たちの心は虜にされました。「これは新聞紙」や「熟女愛好会」などの独特で強烈な言い回しはどの状況で放っても面白く便利でした。この時点で、共通するネットミームを知っていると友達が作りやすいことに気がつきました。ネットミームのおかげでハイコンテクストな社会を形成してい他のです。

高校生になると、私は受験勉強や将来への不安と向き合わねばならず毎日が憂鬱でした。この時に彼女ができましたが、依然として陰鬱な生活は変わらなかったのです。そんな中、仲間内の一人がとんでもないものを持ち込んでしまいました。
その名は、真夏の夜の◯夢。
そして、仲間内では◯夢語録で会話するのが当たり前になってしまうのです。
◯夢(以下、インム)語録はパッセージとして短く、また、数が多いため異様な使いやすさがありました。
例えば、相手の発言に同意したいときは「そうだよ」、
相手を褒め称えるときは「やりますね」、
など日常会話のほとんどをインム語録で代用することができるのです。
受験勉強のせいで精神状態や家庭が不安定で何かにすがりたかった私たちは瞬く間にこのミームに傾倒していきました。

そうして、あれだけ不安だった受験も終わり、私は気がつくと大学生になっていました。
未だにインムに没頭していた私は将来の夢や大義を持つこともなく、ただ毎日を空虚にインム動画を掘り続けることに費やしていました。しかし当時の私はそれを空虚だとは思っていません。面白い動画を見つけたときの幸福感は永遠さえ感じさせてくれるのでした。
そんな私のインムとの訣別は唐突にやってきます。
契機となったのは、高校から付き合っていた彼女に振られたことでした。
それは私が現状を戒めるのに十分すぎる理由で、無駄なものを省いていく過程で自然にインムも見なくなっていきました。
このよう形で私の数年に渡る暗黒時代に終止符を打つことができたのでした。
今思えば、私は彼女に、そして、インムに依存していたのです。
彼女がいることで私は自分に変わらなくていいと暗示をかけてきたのです。
彼女という大きな依存が断ち切られたことで、他の依存も同時に破綻していったのです。
そういう意味では元カノには少しばかり感謝をしています。
終わらせてくれてありがとう、と。

過去を振り返って

前節ではインターネットミームに依存し、暗黒時代を過ごしたことを書きました。
私は別にインムを、ましてや、元カノを憎んでいるわけではありません。
私にとってインターネットミームは語録であり、言葉でした。そして、心の弱さのあまりミームに依存し、自分のことを大切にすることを忘れてしまいました。
依存しやすい私にとってあれは強烈すぎたのです。
この影響から私が得たことは、「言葉の支配は精神の支配である」、です。
思想の強い言葉は、思想を伝染させるのです。

みなさんは依存している言葉はありませんか?
依存が悪とは言いませんが、それを断ち切って眺める外の景色は、とても澄んで見えることでしょう。

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