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68 手づくり雑巾で掃除をすると...

大掃除を前に生徒に手縫いの雑巾を作ってもらいました。例年だとそれぞれの家庭から寄付していただくのですが、せっかくだから自分たちで縫おうと提案しました。最近はスーパーなどでも売られていますし、忙しいからとミシンで縫う人もいます。手縫いの雑巾はあまり見かけなくなりました。ただのタオルや布切れでも雑巾代わりになりますが、縫ってあるだけで拭きやすくなるから不思議です。それも手縫いだと使い心地が違います。それを肌で感じてもらいたいと思い提案しました。

雑巾は学活の時間を使って縫いました。うまく縫えなくて手こづっていた人もいましたが、1時間で32種類の個性豊かな雑巾が出来上がりました。

1cmきっちりの縫い目で作成されたのはシンの雑巾。マーくんの雑巾はアップリケが縫い付けられています。サツキの雑巾は柔らかくて使いやすそう。「一反もめん」になったシマジローの雑巾は鬼太郎がいたらよろこびそうです。畳屋さんのような縫い方で作業していたフクジュン。カモくんは手つきはぎこちなかったけど仕上がりはなかなかでした。針目がびっくりするくらいきちんとそろっているのはミッチャンとカナの雑巾。アヤコの雑巾はしっかりして丈夫そう。「私は男の子のような縫い方しかできないんです」と言っていたユウコ。男子だから、女子だからという違いはあんまりないんじゃない? 一針一針ゆっくり縫っていたら時間切れにな、鍋つかみのようになってしまったオザキくんの雑巾。平行四辺形の雑巾はタチくんの作品。大判で足ふきマットにもできそうなスズキさんの雑巾、どれもこれも個性あふれる雑巾です。そして大掃除の日はみんなが作った手縫いの雑巾が大活躍しました。

以前「生徒の清掃活動は必要それとも不要?」という記事を書きました。学年によっては清掃指導が大変なことが少なくなかったからです。掃除をしない、掃除の時間に遊び回る、それを注意する教師たち、いたちごっこのようでした。その一方で教師が黙っていてもきちんと掃除ができる学年もありました。何が違うのだろうと考えました。

以下は個人的な考えです。
一つは小さい頃からのしつけ、あるいは習慣です。小学校や家庭できちんとしつけをされてきた生徒や、掃除が習慣づいている生徒は中学生になっても掃除をします。そもそも汚すことをあまりしませんし、汚したらきれいにします。

次に汚れに対する感覚です。汚れているのがいやだなと思えばきれいにしようとします。掃除は汚れたところをきれいにすることです。汚れが気になるかならないかは個人差がありますが。

さらに、掃除が義務としてやらされているという認識です。掃除をすることに意義を感じているわけでもなければ、自分たちの学校だから自分たちできれいにするという気持ちもなく、やらなければいけないから仕方なくやっているという意識です。「罰掃除」などそうした認識を植え付ける最たるものと言えるのではないでしょうか。嫌な授業も受けなくてはいけないから受けているのと同じです。だからできればやらずに済ませたいと思うのでしょう。授業はさぼれないけど、掃除ならさぼっても構わないといったところでしょうか。成績もつけれられないですし。

では教師はどうしたらよいのでしょう。私には正解はわかりませんが、生徒が掃除を楽しめるような工夫をするのも一つの方策かなと思います。ちなみに雑巾を縫ったあと、生徒たちはその雑巾を使って楽しそうに掃除をしていました。さらに教師は掃除を教育の一環などとあまり難しく考えず、また教育的効果も必要以上に求めず、汚れた場所を生徒と一緒にきれいにして気持ちよく過ごそうというくらいの気持ちで取り組むのがよいのではないかと思います。掃除を「やらせる」のではなく「みんなでいっしょにやる」ことを第一にして。

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