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9 流されないで生きる 

NHKEテレの「100分で名著」という番組をよく見ます。再放送ですが今月はギュスターブ・ル・ボンの『群集心理』が取り上げられています。私は読んだことがなかったのですが、昨年放送されたときに興味が湧いたので読んでみました。そして改めて群集心理の危険性を認識しました。昨今よく耳にする「同調圧力」にも群集心理とつながるものがあるように思いますが、これらの現象は私が教師をしていた1980年代にも生徒たちの中に見受けられました。そのことを学級通信に綴ったことがありました。以下はその文面です。

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ちょっと前にこんな言葉が流行りました。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というビートたけしのギャグです。瞬く間に日本中に広がり、小さな子どもたちまでがこれを口にしながら赤信号の中を渡る姿が見られます。このギャグがこれほどまでに人々に「受けた」のはなぜでしょう。おそらく「目立たないならばやってはいけないことをやっても平気だ」という意識が多くの人の中にあるからでしょう。日常生活の中でそれを感じることは私にもあります。みんなはどうですか?

「ほかの人といっしょだと何でもやれちゃう」そんな意識がみんなの中にもありませんか?ほかの人といっしょに困難に立ち向かうという意味ではありません。やってはいけないことも仲間といっしょだと平気でやってしまうということです。みんなといっしょになってクラスメートをからかってみたり、自分は本当は嫌なんだけど自分が標的にされるのが怖くていじめに加担してしまったりというようなことってありませんか?「まじめ」と思われるのがいやでわざと不真面目を装ったり、自分の意見はあるのだけれどそれを表明すると周りにどう思われかが気になって多数の意見に同調してしまうといったことってありませんか?

みんなと接していてちょっと気になるのがみんなの中に見え隠れする「二面性」です。個人としてのその人と集団の中でのその人が違うように見える人がいることです。何か問題を起こして注意すると、1対1で話すと素直にわかってくれるのに、集団で話すと別人のように反発する人がいます。放課後など個人的に話しているときと、学活などでみんなに向かって話しているときにも反応が違う人がいます。おそらく周りを意識しているからでしょう。集団から「浮かない」ようにしているのかもしれません。でもそれほどまでに自分を隠す必要が本当にあるのでしょうか。

集団の和を乱さないことは大切です。でもみんなの中にはそれを集団に迎合すること(げいごう:自分の考えを曲げてでも相手や周囲に合わせること)と混同している人がいるように思います。周囲を配慮しながら生活することは大切です。時には周囲に合わせる必要もあります。でもそれは周囲に流されて生きるということではありません。自分の気持ちに正直に生きるのは難しいかもしれません。時には孤立することもあります。周囲から非難されることもあります。対立も起きます。でも、自分の生き方を自分で決めるというのは何よりも大切だし、当たり前のことだと思います。それができれば「いじめ」ももっと減るでしょうし、集団での暴走や破壊行為も減るのではないでしょうか。自分の判断で正しいと思う道を進む強さをみんなには持ってほしいと思っています。流されて生きるのはもうやめませんか?

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