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私のカルチェラタン:新任教師のパリ研修 5

7月27日(水):ボンジュール・パリ

フランクフルトを飛び立った飛行機は27日(水)現地時刻の午後3時45分にパリのオルリー空港に着陸した。日本を出てから30時間以上の空の旅が終わった。さすがに疲れたが空港ロビーに流れるフランス語のアナウンスを耳にした途端、「パリに来たんだ」という感激に胸が躍った。

入国手続きを済ませスーツケースをピックアップしに行った。友人に借りた(スーツケース代も節約!)私の黒いスーツケースは疲れ果てたかのように隣の巨大なスーツケースに寄りかかってコンベアーを流れてきた。ほとんどの人が荷物を受け取ったが同行のSさんの荷物だけなかなか出てこない。カラチで乗り換えたときに別の飛行機に乗せられてしまったらしい。出てくるかどうかわからないが問い合わせてみるということだった。「出てくるかどうかわからない」というのも無責任な言い方だと思ったが、当時の海外旅行では荷物が行方不明になるというのは珍しいことではないらしい。ひょっとすると私の身にも起こる可能性はあった。運が悪いと言えばそれまでだが、パリに着いた草々こんな目に合うSさん気の毒だ。しばらくは着替えもままならないだろう。

彼女のスーツケースの一件で私たちはしばらく空港に足止めされた。パリ市内に向けてバスで空港を出発したのは午後5時半ごろだった。パリ市内で到着したのはカルチェラタンにある「メゾン・デ・ミンニュ(Maison des Mines)」という学生寮だ。カルチェ ラタンの中心部にありリュクサンブール公園から 500 メートルのところにある。ソルボンヌも徒歩圏内なので毎日歩いて授業に通える。フランスの学生が夏のバカンスで留守の間海外の留学生に貸し出されており、私たちもこの先1か月余りをここで過ごすことになる。多国籍の学生が滞在している。

現在のメゾン・デ・ミンニュの案内↓


部屋割りが発表された。私はKさんというエレガントな女性と同室になった。彼女は出発前に東京で開かれた説明会で私の隣に座っていたので印象に残っている。紺色のつばの大きな帽子を『カサブランカ』のバーグマン風にかぶり、とても目立っていた。今回のツアーでもその帽子をかぶって注目を集めていた。お気に入りの帽子なのだろう。一見すると女王様風だが年齢も職業も私にはまったく見当がつかない。だが何となく興味をそそられる女性だ。

部屋に荷物を置いた私たちツアー一行は初日ということもあって揃って夕食に出かけた。フランスには何度も来ているという添乗のW氏と、パリ在住でこの先私たちの世話をしてくれるA嬢に連れられて訪れたのは近くの中華料理店。「パリに来て最初の食事が中華?」と思ったが、パリには中華料理の店がたくさんあり、値段も手ごろで便利だということだ。安価なツアーの私たちには合っているのかもしれない。

狭い店内には先客がたくさんいた。そこに、20人近い私たちが加わったので客で溢れそうになった。座席をなんとか確保し、いざ注文という段になって戸惑った。メニューはフランス語と中国語だけなのでさっぱりわからない。もちろん現代のような写真入りメニューでもない。「鳥のから揚げじゃない?」「シューマイのような気がする」などみんなであれこれ言いながら注文した。結局「これ!」とメニューを指さしながらの注文で、これまで勉強したフランス語がほとんど役に立たなかった。食事にありつくのも一苦労。注文するだけで一仕事終えた気分だった。

その晩はルームメートの「帽子の彼女」と自己紹介を兼ねて夜遅くまでおしゃべりをした。これから1か月以上同室で生活するのだからお互いをよく知る必要がある。「クラブのママ」といった雰囲気も感じさせ、私よりずっと年上に見える彼女だが、何と私と同い年で東京大学の学生だという。専攻はフランス文学だが、勉強が大嫌いで、卒業も延び延びになっているという。その時は在籍6年目。でも、自分の気の向くままに生活しているので、何年留年しても構わないと言う。

ちなみに、彼女はパリ滞在中どこに行くにも例の帽子をかぶり人目を引いていた。他人には無関心と言われるパリジャンが口笛を吹きながら「オー・ジョリー・シャポー(Oh, jolie chapeau!)」(「素敵な帽子!」)と言うのを何度も耳にした。そんな大人びた彼女だが、小学生のように子どもじみたところもあるし、抜けたところもある。そして彼女はその後波乱に富んだパリ生活を送ることになる。



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