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155 小学校の外国語活動は英語教育導入のためだった? 

小学校の外国語活動が導入されたとき多くの先生が戸惑っていました。外国語活動とは言いながらほとんどの学校で英語が扱われたからです。小学校の先生たちは英語教育についてほとんど学んでいません。自分が英語を教えることになるとも思っていなかったでしょう。英語が苦手だから英語を教える必要のない小学校の教師になったという人も少なくありませんでした。

外国語活動導入の話を聞いたとき私は淡い期待を抱きました。小学生が様々な外国語について学べると思ったからです。世界には多様な言語があり、背景となる歴史や文化、人々の生活も多様であることを学ぶのは有意義だと思います。異文化理解の観点からも期待しました。さらに「活動」となっていたことから教師が一方的に教える「授業」ではなく、教師がファシリテーターの役割を担い、デジタル機器を用いたり母語話者など多様な講師を招くなどして創意工夫を凝らした活動ができるのではないかと思いました。言語を教える授業ではなく、言語について学ぶ活動ができると思ったのです。

外国語について学ぶ活動であれば英語教育を学んだことのない小学校の先生たちにもできます。いや、小学校の先生だからこそ創意工夫を凝らしたすばらしい活動ができると思います。小学校の先生の中には発想が豊かで、多才な人がたくさんいます。そんな先生たちの独創的な指導に私は期待しました。

ところが、いざ始まって見ると私の期待は裏切られました。圧倒的多数の学校が英語を扱い、他の外国語を扱う学校はほとんどありませんでした。当時、文科省で外国語活動の推進役として全国を飛び回って講演していた教科調査官の女性も元中学校の英語教師であり、講演では常に「英語活動」として話を進めていました。私は仕事の関係で彼女の講演を何度も聞きましたが「英語は今や世界の共通語。小学生のうちから英語を身につけることが大事」であるといつも語っていました。そのこと自体に異論はありませんが、聴衆である小学校の教員に向かって彼女が「先生たちもこれからは英語が話せるようにならないとだめですよ」と言うのを聞いたときには「ああ外国語活動は結局のところ英語教育なのだ」とがっかりしました。そして、フロアーの最前列に座っていた男性校長に向かって関西弁の彼女が「センセもこれからは英語ができひんなんて言ってられませんえ~」といささか揶揄するような口調で語りかけたとき、小学校の先生たちが抱える戸惑いや不安、重圧感などへの配慮はないのかとがっかりしたことを記憶しています。

それから10年近くたった2020年、小学校の5,6年生で英語が教科として必修化されました。結局、外国語活動は小学校に英語教育を導入するためのステップだったようです。でもなぜ英語活動と言わずに外国語活動といったのか私には疑問です。


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