ある神話学者のがん闘病日記1 もしかして乳がん?

2022年7月11日、義父が肺がんで亡くなった。ちょうどその日のことであった。自己検診をしていて、右胸に小さなしこりを発見した。むくり、と不安が頭をもたげた。年齢を考えると、がんであってもおかしくない。ただ、私は中学生の時に繊維線種で左胸のしこりを手術で除去したことがあり、今回もそれかもしれない。どちらにせよ、病院を受診する必要があった。

7月22日、近くの総合病院の乳腺外科を受診した。触診とマンモグラフィー、超音波検査を受けた。マンモグラフィーは胸を縦方向と横方向からはさんで撮影する。胸をつぶされるのでとんでもなく痛い。あの検査は何かもっと女性自身の立場から改善の余地があるのではないかと強く感じた。担当医師は40代後半頃の男性で、軽い感じなので、がんの疑いで受診しても「今は治るからね~」と言われて深刻な感じが少しもせず、こちらも気が楽になった。

7月29日、検査の結果を聞きに行った。やはり、がんの可能性が高いとのことで、確定させるために組織を取らないといけない。太めの針を胸のしこりに刺して取る。「麻酔をするから大丈夫だよ~」とまた軽く言われて、ベッドに横になる。麻酔の注射をして、そのあと針をさすのであるが、バネのようになってて、「ガシャン!」と大きな音をさせて針をしこりに到達させ、組織を抽出する。このバネ式の針はいかにも旧式の感があり、マンモグラフィーに続いて、この検査もなんとかならないのかねと思ったものだった。とにかく、それを三回、繰り返して、確定診断を待つことになった。

8月12日、いよいよ結果を聞く日になった。ほぼ覚悟は決まっていた。夫につきそってもらって病院へ。先生は開口一番「やっぱりねえ、がんがあったよ~」と軽くおっしゃる。定番のギャグ「がーん」を言いたかったが、雰囲気がそんな感じではなかったので、それはやめておいて、「そうですか…」と答えると、「どこで治療する~?ぼくさあ、ここバイトなんだよね~」と先生。先生、どこかからの派遣といいますか非常勤といいますか、でもお医者様の「バイト」というのはなんとも面白い言い方をなさる。なお先生は近くの大学病院から来られていて、その大学病院は日本で乳がん治療の実績が3位であることをすでに下調べしていた。そこで、「先生のところに行きたいです」と告白のような変な言い方をして、転院してM大学病院でお世話になることが決まった。
私のがんは乳がんの4種類の中でも最もおとなしい部類で、ホルモン療法がよく効くし、まだ小さいから完治すると言われ、元気づけていただいたのだった。

2に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?