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全てを正解にする

自分は目標や叶えたい将来の夢といわれる職業への憧れのものがないため、例え得た結果が元々の道と逸れていたとしてもそれを正解の道として進ん でいく。これは悪くいえば逃げに入っているのかもしれない。自分の本当の道から逸れていてもその道に戻ろうとする努力しないので、粘り強くないと思ったり、それが逃げているように感じる人もいるかもしれない。しかし、私は逸れた道を正解とすることは逃げではないと思う。違う道であっても、歩き続けているだけで逃げてはない。元々行きたかった道に縋り付かなかっただけの話である。自分が進もうとした道に対してそこまでの熱量や執着がなかったということもあると思う。無理やり自分が勝手に設定した正解に戻るより折角逸れた道を歩き続ける方が楽しいと私は感じる。元々は考えていなかった道でもその道に導かれたならそこで自 分が思う正解の生き方をする方が私にはあっているのである。例え自分が目標としていたところにたどり着かなく ても自分が選択した全てが正解。そう思うと目標が達成されないという悩みも無くなる。自分でしばりつけた正解に固執することで粘り強さは手に入るかもしれないがほかの選択肢を捨てることにもなる。しかし、目標を達成しなくて良いということではない。目標は何のためのものだったのかを考える。高校や大学などの学校選びのときにおいて自分の1 番の基準は「一番自分が成長して楽しめる場所」ということである。行くと決まったところでその目標を達成させ、この学校が正解だったと思えるような行動をする。私には一つの正解を見つけて、それを達成させるための粘り強さが足りていない。その能力を育てたいと思うが、それよりもその決めた場 所で進み続けるということが私にとって楽しく生きるために必要なことなのである。ある程度の粘り強さは必要であっても、常に進み続けたいのである。

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