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静岡旅 その1 高校野球観戦と母校への想い

先日の3連休に日程を繰り合わせて静岡に一人旅をしてきた。

私が小学校後半から高校卒業まで育った、故郷ともいえる土地への
お国入りではあったが、とにかく鈍行列車しか使えない貧乏旅行で、
その上、宿が私の育った静岡市葵区中心部(・・の少し外れ)からは東へ向かって距離にして大体40キロくらい(推定)の富士市に宿を取ったため、
今回は育った「昔からの静岡市」へは行かなかった。

今回の旅のメインは、一番の目的は、20年ぶりに母校・常葉大橘高校の夏の高校野球の試合を応援すること。

先輩とその話が出ていたところ、どうしても「清水区の、アクセスのあまり良くない球場で、朝9時開始」・・神奈川の横浜近郊に住む私は、何としても、安く上げるために鈍行で向かうつもりだったが、間に合うにはかなりの根性が必要なので、「なんとか、リーズナブルな宿はないかなあ・・」と思って探していたら・・何と、富士市までいけば、あった!!破格な値段で朝食まで付いている!!リフォームも済んでいる、 な宿が!!そして2週間前に予約し、この3連休を静岡で過ごすこととなった。(結果的にこの宿は、人情など素晴らしすぎたのだが、これは後編に書こう)

そして、13日に鈍行で沼津までまず向かい、この日は
知徳高校VS浜松日体高校

飛龍高校VS藤枝東高校

の2試合を観戦した。

第一試合の知徳高校は三島の私学で、学校OBには俳優の神保悟志さんなどがいるようだ。

そして知徳高校には小船君という最速152キロの右腕投手がいて、当然プロやメジャーのスカウトが大注目な投手で様々な雑誌に登場しているため「視察」しておきたかった。余談だが、小船君のリスペクトする投手はロッテの佐々木朗希投手だそうで、大谷選手にも強い憧れを持っているという。今回、静岡のローカルな高校野球雑誌を購入したが、取り上げられている子で投手は多くが岩手県関係の選手を憧れ・目標の選手に掲げており、岩手県にも深く関わりのある身としてはなんか嬉しい気持ちになった(笑)

話が逸れてしまった。この試合、先発した小船君は、随所に大気の片りんを見せる感じで、「えぐい」ストレートで三振も多く取っていた。しかし4回に、アクシデントが襲う。ピッチャーライナーが顔面に当たってしまい、緊急降板したのだ。治療のためもちろん試合は中断したし、私もどうなることか、心配した。しかし、試合後半にはベンチで仲間をサポートしている姿が見られた。実際、軽傷だったようで、次戦は登板できそうだという。

チームは2番手投手がまず好投し、打線も奮起して中盤に集中打、6-1で初戦を突破した。この先の戦いが楽しみなチームだと感じた。試合後、ナインが応援席に向かい、勝利の雄たけびを上げるところをみて、「夏の青春だなあ・・」と本当に思った。

第2試合は、私が静岡に住んでいたころは「沼津学園」と言っていた飛龍高校がサッカーで有名な県立の伝統校、藤枝東と対戦した。

この試合、私は飛龍高校を割と真剣に応援した。

理由は、同校相撲部OBの翠富士関、熱海富士関はじめ、角界で活躍する卒業生の力士たちに、野球部の応援をすることで間接的にパワーを、名古屋へ届け!!とばかりに、送るつもりで応援した、そんな自分でもよく「軸」の分からない動機である(笑) ちなみに飛龍高校は「全校生徒の半分近くがスポーツコースの生徒」というくらい、スポーツの盛んな学校らしく、卒業生もJリーガーやらボクシングの東洋太平洋チャンピオンやら多士済々、最近では相撲部の学校の名声の高め方が本当に凄いと思って見ている。野球部は、西武で短期間ではあったが活躍し、楽天でもコーチを勤めた杉山賢人さんや、現役では西武の平井克典投手など、多くのプロ野球選手も輩出しているが、まだ甲子園には届いていない。

飛龍高校、なかなか力強かった。泥臭く点を取りに行く面もあるし、豪快さも持ち合わせている。投手力はそこそこの投手の駒が揃っていると感じた。

応援席も勢いがあって楽しかった。結果、7回コールド勝ち。
これからまた楽しみなチームだった。

翌日は朝から先輩と合流して、母校、常葉大橘の試合を応援しに清水まで行った。

この試合に関しては、四の五の言うまい。

とにかく、20年ぶりに夏の高校野球の母校の応援が出来た。

心から興奮し、喜怒哀楽を出して、理屈抜きに応援できた。

そして、結果、4-3で桐陽高校(かつて甲子園に出場した沼津市の私学)
に勝つことができたのだ!

試合後は、いつ以来だろう‥20年前はしっかり歌ったか記憶にないから、
下手すれば卒業以来?しっかりと、母校の校歌を歌った。感慨深いものがあった。

この20年間、母校の試合を生で見たいことはあった。

その間に母校は、甲子園にも出場した。

しかし、距離的、経済的な問題から、ついぞ、甲子園にもその頃行けず、
時間が流れていった。

一昨年の秋、秋の東海大会において、実に18年ぶりに母校の試合を応援した。この時も感慨深かった。

しかし、秋の大会ということで応援団も少ししか来ていなかった。

やはり夏の試合を観たかった。そして勝ち試合を観たかった。

その夢は果たされた。

最初、1回が始まってすぐにざっと雨が来て中断、また観られないことも覚悟したが、本当に素晴らしい、夢のような時間だった。

またいつか、現地での母校野球部応援、実現させたい。

それをしやすくするためにまた、頑張ろう。

そして、私は静岡にいた若い頃、例えば嫌な言い方かもしれないが、
スクール・カーストというものがあるとして、そのだいぶ下層の方にいる存在であった。

私を虐めてくる奴も多くいたし、中学や高校の学校生活でよい思い出と嫌な想い出の比率があるとすれば「よい思い出2:嫌な想い出8」くらいではなかろうか?

しかし、数少ないながらも友達はいたし、未だに気にかけてくれる恩師もいる。

そうした存在、なにより今となっては、多くの事が美化されてる「想い出」。

良いことも、苦しいこともたくさんあった友達関係。

苦しかった禅寺のような施設での合宿。

いずれも途中であまり真剣にやらなくなり、多くの人に迷惑をかけてしまった中学の剣道部、高校の演劇部。

あんな先生いたな、こんな先生いたな・・ということ。

ちなみに私は、静岡で小学校半から育ち、中学から高校まで当時の「常葉学園橘」で過ごした。

静岡にいた時期の3分の2は「橘」で過ごしたことになる。

この歳になると、多くが今の自分を作っている大切なスナップの一枚一枚だったのかな‥と思える。

まず、私に「生まれ故郷」はないけど、育った土地は故郷みたいなものだし、母校は母校なのだ。

これからも、折に触れ、思い出していきたい。

後半は(第2章)は、今回の旅で感じた人情などについて綴る予定だ。


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