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己と社会の差別意識 ーもがき苦しむ日々ー

私は今、本当に苦しい。

今、お世話になっている事業所は、重い自閉症の人が多く所属しているということがあり、そのため、私が作業していても、周りからは容赦なくよく分からない言語での叫び声が交錯している。
(専門用語でジャーゴンというらしい)

問題は、いちいち「うるせー!!」とか思って、たまに彼からの父兄が作業の手伝いに入っている中で、露骨に不快そうな態度を取ってしまっている自分がいて、それが今、本当に自覚するたびに、辛い、辛くて堪らない。

どうしてこんなに苦しく、もがき苦しむかは分かっている。

私は、勝手に自分を知的障害の人たちに全面的に理解のある・・まあ、いわば「善人」だと思い込んでいたが、結局、「偽善者」に過ぎないということを思い知らされ、その自閉症の人たちとの関わりの中で、「己の中に内包された差別意識」を連日連日、突きつけられているからだ。

若い頃は、きっかけがあって、東京の八王子の方で、知的障害の方と多く関わる生活、そしてそのような仕事をしていた。

あの頃は、今と違い、本当に楽しかった。

全てが貴重な経験だったように思えるし、良い思い出が多い。

今も八王子には、当時関わってくれた人たちに会いにたまに行く。

その頃と今の大きな違いは何か・・八王子の法人にも自閉症の人とかはいたが、今は、何にせよ私も「動」ではなく「静」の動きの中で、自分自身も頭の中で思考をまとめなければならない局面が多い中、ガヤガヤ喚かれると気分が荒れてくる・・おそらくそこから苦しくなってなっているのだろう。

いずれにせよ、今までの自分が己の「内包された差別意識」と向き合ってこなかった、いわば「偽善者」であったのかもしれない。

今日は落ち着かず、屋上に行った。

行くと、「生きている意味は、俺の場合、どこにあるんだろう‥」

とまで思いつめた。

あの場になにか刺激があったら。。と思うとぞっとする。

先日、帰省した時もお世話になっているワーカーさんと話したし、今、お世話になっている所とも話しているが、まず、環境を変え、その中で今よりはずっと収入をもらえるようなところから、「社員」待遇には最初からはこだわらない・・そこからさらにステップアップしていく。そうする方向。

そうでないと、近々私は破滅するから。(間違いない・・と思います)

自分のことを書いてきたが、こう考えると、改めて、「自分自身や、世の中の多数と異質なもの」に対する差別の意識はおそらく多くの人にあるものであって、多分、「私には差別意識はない」という人こそ、深く考えてみる余地があるような気がしている。

最近、島崎藤村の「破戒」という小説を読んだ。

主人公は明治時代の信州の小学校の教師。

仲間内、そして生徒たちの評判も良い。

しかし彼には、父親からも「絶対に他人に言うな」と言われていた秘密があった。彼は、先祖を辿れば「エタ」と呼ばれた、「被差別部落」が出自だったのである。
(時代的に当たり前であるが、明治時代は今とは比べ物にならないくらい、被差別部落出身者への世間の差別は激しく、見る目も冷たかったことは、作品を読んでよく分かった)

主人公は、結果的に、様々に思うところがあり、亡き父の戒めを遂に破り、被差別部落出身であることを公にする。

その結果、街には居場所がなくなり、怒りに燃えて新たな旅立ちをする・・というストーリーだった。

何故、主人公がこうも差別されたのか‥

被差別部落というのは、中世辺りで為政者たちが年貢の取り立てに苦しむ農民の不満を和らげるため、そうした階層を作ったと聞いたことがある。
(完全な自信はないが)

つまり、明治維新以前では、被差別部落の人などは、「異質の存在」であったのだろうし、今でも「同和問題」といって根強く残るらしいが、何か、
「自分と違う困りごとを抱えていたり、あるいは自分たちや世間一般と異質だったら本能的に排除する」という、人間の悲しい習性は、きれいごとなどでは片付かない、人類普遍のテーマ、という気すらしている。

私も、もしかして結局、「差別意識」に目覚めることが出来たのは、ある意味で収穫だったのかもしれない。

自閉症の人たちだって、電子機器の扱いにえらく長けていたり、手順さえハマれば、無類の作業効率を発揮する人もいる。そういう人たちからすれば、私の手際の悪い一面などはイライラしているかもしれないし、人の気持ちは、最終的に本人しか分からない・・ということになるが、結局「自分自身にも間違いのない、自分とは異なるものへの差別意識が内包されていると自覚し、自分は自分の道を進む」しかないのだろう。

ひとつひとう、峠を越えていこう・・。



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