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パリ ゲイ術体験記 vol.42「珍家主と名物ピアニスト」Part.3

フランス留学を許してくれなかった両親と、長年に渡ってほぼ断絶状態だったJ子さん。
J子さんの母上が他界されたこともあって、パリで暮らしているJ子さんを父上が初めて訪ねてくることになった。
「お父様は再会をさぞかし楽しみにしておいででしょうね」と言っても、「知りませんわよ。どうだっていいわ」…と他人事のようにいたってさばさば。

折角の機会なので、大リサイタル準備中で練習に追われているJ子さんを置いて、ご挨拶がてら滞在中の父上の1日パリ観光をかって出た私。
J子さんのザンバラ長髪をバッサリと切ったら、父上と双子に見えるのではなかろうかという位に瓜二つなお顔であった。
父上は長らく軋轢のあったJ子さんには思った事を簡単には言えないらしく、私と会った途端に彼の訴えが始まった。
「聞いてよのりタマ君。なんでうちのJ子があんなキッタネー住まいであんなおかしな婆さんの世話をしなくちゃならないのかね . . . 僕はもう初日から情けなくて情けなくてさー、まいったよ君 . . .」と、ショックで話も途切れ気味。
初パリで日本語しかできないお父さんでも、初対面の家主のN婆さんが変な人間だとちゃんと感じておられていたのであった。
「のりタマ君さー、お願いだからJ子の為にまともなアパートを見つけてやってくれないかい。今すぐにでも買ってやりたいんだよ。頼むよー。まったくさ、あんな変な暮らしをずっとしていたかと思うと、親として後悔しかなくてさ. . .」

そんな事をJ子さんに伝えようものならば「何を今さら父親ぶって!」とギャーと吠えまくるのは目に見えていたし、そして父上にも「J子さんは家主の婆さんが実の親以上だと感じてると普段から言っています」とは間違っても伝えられないので、双方への気持ちの伝達役をうまく果たせない私だった。

そんなこんなしている間に、J子さんの大事なリサイタルが迫っていた。
前年の大きな会場でのリサイタルでは、眩いスポットライトが当たるというのに、スッピンでステージに出てきたので度肝を抜かれた私。
"パリの3大色気無し"の一人と言われていても平気な彼女だけれど、これでは実物を目の当たりにする聴衆にも幾ばくかの失望というかトラウマが残ってしまうと感じた私は、「そろそろお化粧を施して登場しないと、大ホールの眩いライトの下では見るに耐え難い形相のように感じる」と伝えた。
これくらい露骨に言わないと、ピアノ以外の事には馬の耳に念仏の人だからである。

「お化粧なんて今までした事がないから、やり方を知らないの」と予想通りの反応で、昔使った古いスーツケースをごそごそ探しだしたと思ったら、「ございましたわー口紅が!」と嬉しそうに持ってでてきた。
それは、焼け跡から探し当てたような口紅で、色もメーカーもくすんで何だかわからない代物。
「J子さん、これっていつ買った口紅?」
「25年くらい前に母が古くなったので捨てるといってた物を隠してとっておきましたのよ」
「. . .」
「私、まだ一度も使ってないのよね。これでいい       わよね」
「いやいや、そんな古いのは身体にも悪い筈だから新品を買われた方が. . .」
「まあ駄目なの?勿体ない!」と満面の不満顔。 
  . . .と、まあスタートからこんな調子である。

数日後「試し化粧を施してみますので、出来映えのチェックにいらして頂けます?」との電話が入る。
男の私などではなくて、普段から普通に化粧をしている女友達はいないの?と言いかけたが、一緒に暮らす家主も訪ねてくるご近所の婆さんも後期高齢者ぞろいであるので仕方なく出かけて行くことに。
「いらっしゃいませ~」と塗りまくった顔でのお出迎え。私は「うーん…」と唸るしかない。
ハロウィーンのお面みたいとも言えないし、ドジョウ掬いのメイクと言うのもトゲがある。
「だめかしら?どうよ?」  まだ言っている。
この場でお茶を濁すのはチェックを任命された身としては無責任なので、正直に申し上げた。
「J子さんね、このスタイルのお化粧はこれからオテモヤンでも歌う人の伴奏をするならば最適だと思うんですけど . . .」
本人、他人事みたいにゲラゲラと笑っているが、実際もうちょっとやりようが無かったのかレベルである。
「それなら正しいというお化粧の仕方を教えて頂きたいものですわっ!」と鼻息荒く言われても、こっちはゲイはゲイでも正統派(?)のゲイで、ドラッグクイーンじゃないから化粧なんかしないの!

そうは言っても彼女の大事な本番当日までに日もないことなので、いつも立派な化粧を怠らない私の友人を美容教育係としてJ子宅に派遣した。
「J子さんて、きっと江戸時代からタイムスリップ    してきた方よ」. .   
教育係がそう言ってきたのも無理はない。
初回のデモンストレーションで施した化粧を次の会まで落としていなかったらしいのだ。早い話が、化粧は落とすものだと知らなかったのである。

いよいよ大リサイタル当日。
耳にタコができるほどに聴いて知っている彼女のピアノはさておいて、どんな顔でステージに出てくるか?..という怖いような楽しみなようなワクワク感で会場に向かった私。
実は、もしも彼女の演奏中に笑いがこみ上げてきて困った場合に、それを押し殺す対策としてポケットにおしゃぶり昆布を忍ばせておいたのだが、なんとなんとその晩のJ子さんは美しかったのだ!!この人こんなに綺麗にもなれるんだ. . .
女性は化粧でこんな別人になれてしまうという事実をかぶりつきの客席でまざまざと見せつけられて、しばしの間唖然としながら眺めていたものである。

会場には家主のN婆さんは勿論のこと、正装でバッチリ決めてこられて聴衆のブラボーに涙ぐむ父上の姿を見つけて、私もひどく幸せな気分になれたコンサートの夜なのであった。

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