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パリ ゲイ術体験記 vol.33「アコーディオンは恨み節」

2年にも満たない期間だったが、自分より15歳年下の若いアコーディオン奏者のボーイフレンドがいた時期があった。
フランス人アコーディオン弾きが連想させるイメージは、柔らかな身のこなしにベレー帽をかぶり、脇にはバゲットでも抱えたパリジャンの香りをプンプン漂わせる姿だったりするかと思うが、このロランはだいぶ違っていた。

似合わないからやめておけばいいのに、真っ赤なベレー帽を漬け物石みたいな巨大な頭に乗せた姿は大黒天。お洒落に着ているつもりの水平服は下から肥満の肉塊に圧迫されて、妊婦服のような園児のスモックのような。愛想を振り撒くのに無理をして踊りながらアコーディオンを弾いて廻れば、三頭身で嵩張る図体が聴衆に行く手を開けよと催促しているようで鬱陶しい。
….書いている方がむなしくなるこんな意地悪を言うのは、ロランとの経緯が破壊的な屈辱さでもって終わった事に他ならず、こうして悪口を書きながらスカッとするためでもある。
(これでスカッとするのだから、私は安上がりに出来ている人間だとつくづく思う)

出逢いの頃に私が彼に少なからず興味を持ったきっかけは、私が惹かれ易いタイプの若いクマ系男子が楽器を弾いていたからである。
プロレスのジュニアヘビー級あたりで格闘していれば一番似合ってそうなずんぐり男が、不釣り合いなアコーディオンを弾いている何だか健気そうな姿も少し気に入っていた。
それが王道をいく立派な凛々しいクマさんだったならば、破局の時でも味わった多少のお得感を足し算して失う諦めがついただろうけれど、彼の場合はクマはクマでも肥満のアナグマに近かった事も後になると少し腹立たしい …

当時の私は相変わらずの窮屈な経済状態で暮らしていたが、そんな私に「僕のアコーディオンで稼ぐ仕事がもっと欲しいなぁ.. 余裕が無くて苦しい..」と彼が相談してきた。
なにぶんお人好しで通っている私であるから、さっそく私の日本のコンサートのマネジメントさんや母親の伝をたよったりして、日本でのアコーディオン•ミニコンサート•ツアーを25ヵ所ほど取りつける事ができた。

はじめは「アコーディオンを担いで、まさかの日本に行けるなんて夢のよう」と狂喜乱舞していたロランだったのが、いざ日本に着いたと同時に様子が180度変わってしまった。
「遠い日本に来てしまった事が辛い」などと言い出したので意味が解らずに理由を尋ねれば、日本を発つ直前に彼の大親友がパリの真夜中の路上で切り裂き魔にあって、顔を切り裂かれたので心配で仕方がないと言う。
その大親友とやらの存在は一切聞いた事がなかったので不思議に感じたのだが、ロランは日に日にアグレッシブになっていき、コンサート準備に勤しむ私にことごとく反抗するようになってきた。

くってかかられる意味が解らず困っている私をつかまえて、彼はとうとう本音を吐いた。
「のりタマは嫉妬深そうだから言えなかったけど、僕には新しい恋人がいるんだ!」と叫ぶロラン。
その事実に全くもって気付かなかった私も相当鈍いけれど、自分は秘密裏に二股をかけていたのだから何も怒鳴って威張りくさることはない。
その打ち明けた日を境に、ロランの行動はゲリラ攻撃へと化していった。

私の実家で数日滞在していた時に、なんとロランめは私の留守中に彼は母に私がゲイである事を暴露したのだ。
フランス語が喋れない母との言葉の壁を乗り越えるべく、私の和仏と仏和辞典を駆使して母へ訴えたらしいのである。
それまで私は母にカミングアウトはしておらず、彼女が自然と察してくれるか、或いは何かしらのタイミングでカミングアウトできる機会をずっと模索していたのだ。そんなデリケートな問題を他人の口から言って欲しくないのは誰だって同じに違いない。
おまけに「たぶん、母親の躾が厳し過ぎたせいで息子は隠す事しか知らないアホ人間になってしまったのだから、親としての教育は失敗だったのではないか」と母をなじったらしい。

母は、いつまでも浮いた話も無く見合い話や縁談をことごとく無視する私を「もしかしたら..」と少しは疑ってみた時期もあったとは言っていたが、今回知ってしまった内容がそんなにショックな事実とは思っていない様子を見せていた。(実は大ショックだったかも知れない...)
「それよりも、ロランが言うように私は貴方にとって悪い母親だったのかしらね…」と少し悲しげな顔をされて、普段はあまり腹をたてない私もさすがに怒り心頭になり、ここぞとばかりにロランをなじった。
なのに、奴めは「君は10年後には暴露してくれた僕に涙を流して感謝するに決まってるさ、ふん!」とふてぶてしく賢しげに言い放つ鉄面皮。
まだ残っている10ヵ所ほどのコンサートをキャンセルしてパリにお帰り願う案も考えてたけれど、主催をしてくれる人達に迷惑をかける事になるので、敵同士がステージに上がる覚悟で仕方なく公演を続けた。

最悪なことにその翌日の公演は某大学の大ホールでの二人のトークコンサート。
白々しくもご機嫌よろしく「ハーイ皆さんボンジュール!僕がアコーディオン弾きのロランでーす」と始めたまではよかったが、次のこれまた予期せぬ発言に血の気が引いた私。
予定した簡単な台本を無視して勝手に私の紹介を始めたと思いきや「僕を日本まで連れてきたのは、そこにいるオカマの"のりタマ"です。一見真面目そうに見えるけど、粗チン!の割にはなかなかのサロップなんだよ (**サロップsalope =淫乱•あばずれ•ゲス..)
ピアノの腕は並み程度だけど。今日も僕の伴奏で何曲か弾くけれど、のりタマお得意のミスタッチを沢山耳にすると思うよーアハハハ」とかましたのである。
このセリフを私自身が観客に向けて通訳しなくてはならないのに …
自分のピアノソロの本番で暗譜が飛んでしまった時と同じように、一瞬にして見えてる世界が真っ白になってしまっていた。

この催しで私は彼の数曲の伴奏者でもあり、かつ通訳を兼ねた司会者であり蔭では滞在の世話役である。
それよりもまず、彼に稼がせる為に無報酬で来ているというのに、これでは行儀が悪いだけでなく人間性の欠落汚さではないか。
しかも、この会場は大学内のホールだからフランス語がわかる教員なども客席にいて聞いているはずだ。
その時私は即興で何と言って彼の吐いたセリフを誤魔化したかを全く記憶していない。覚えているのは「神様仏様、どうぞ私に今ステージにいる時間だけでもいいので、この理不尽な仕打ちに耐えうる鋼のメンタルを下さいませ!」と不本意な伴奏をしながら祈った事だけである。

その間にも、宿泊先の実家にはパリで切り裂き魔にあったという例の男から「熱愛する僕のロランへ..♡♡♡」と記したラブレター•ファックスが自身の裸の写真付きで届き、それを母が目を白黒させて受け取ったりなどのロランやりたい放題の日々が続いていた。その後やっと怪我を負った彼に会えると喜び勇んで、稼いだ大金を掴んでパリに帰っていったのだった。
言う迄もなく、心身ボロ雑巾みたいになっていた私は2度と会うまいと決意して送り出したのだった。

このナンセンスな出逢いと最悪な仕上がりの渡航公演から得たものは、外見の好みだけで相手を選ぶと不幸になるという教訓を、自らが経験し味わい何とか咀嚼できたという事実だけである。
疲労と高くついた勉強代のおかげで、少しは賢くなって人を見る目が養えて用心深くもなるだろうと希望を持ってはみたものの、正直なところは三つ子の魂百まで…とは良く言ったものだと感心している、相変わらず危なっかしく愚かしい私であった。

耳に残ったアコーディオンの呪いの音色から解放された頃に、互いの欠点や至らぬ部分を丸ごと受け入れて赦し合えるパンダタイプのマイケル君との出逢いがあって、以後17年間も一度の喧嘩もしないパートナーとして平和に過ごす事ができたのだから、人との出逢いも山あり谷ありなのだろうと1人で納得してみるのだった。

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