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【THE GAME】というアソビ②

【THE GAME】というアソビ①はこちらから

1月8日に、1回目のミーティングをしました。
「二人でやったGAME」の話です。

私が今、受けている【THE GAME】
「あっきーの、3ヶ月個人セッション受け放題。事務局サポートし放題。」

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人生はゲーム。
変えたい現状があるなら変えられるし、
なりたい自分になれる。
望むものを手に入れていいのです。

あなたの宇宙を探究し、
自分史上最高の2024年を共に更新しましょう‼️
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こう見えて、本当は「ミーティング前にはしっかりと準備を!」というタイプだったのですが
なんかもう最近、そういうことが一切できない・やりたくなくなっちゃってます。

なのでTHE GAMEを依頼したわりに、ノープランなままミーティング。

あ、これ。ミーティング終わってすぐ書かないと忘れるな(笑
覚えている順に記録します。

まず、私がもっていたビリーフ(信念)
※言葉選ばず、そのまんまで書かせていただきます。

「男はみんなクソ」

こう思うようになった案件もあるけれど、
もっともっと掘り下げていくと別のところに理由がありました。

「女である自分が嫌」というところ。
でももっと「その先」があった。

あっきーにサポートしてもらい、ソコは手放したつもりでいたのですが
(そういやこれから書くことは、あっきーに報告してなかったな)

や、かなり手放せたのですが
もっともっと昔にある記憶を思い出しました。

「男だったらよかったのに」
まずこれ。

私の父は、自営業でした。
子どもは3人。私・弟・妹。

20歳ごろ。
もう私は東京に住んでいて、実家に帰省したときにおそらく言われた言葉。

「うちを継いでくれないか?」

真っ先に「やだ」と答えたのを覚えています。

物心ついたときには、自宅の横に会社があって
朝早くから夜遅くまで仕事をしていた父を見て育ちました。

当時は、特に、父のことを好きでも嫌いでもなく
や、うそ。
どっちかというと、嫌いでした。

仕事ばかりの父だったのでさみしくて・・・

とかは全然なかったのですが
父の「ここが嫌い」という話ばかり聞いて育ったので
私は特に何をされたわけではないのですが「父は悪い人」だったのです。

で、あれはなんでだろう。
父と二人で話すタイミングがあって

「うちを継いでくれないか」と言われたんです。

当時、私はブラック企業でバリバリやっていて
仕事もプライベートも東京生活で充実していました。

「地元に戻るとか無理だし、仕事内容知らないし無理」

「そうか」

さみしそうな顔をした父の記憶を
あっきーとのミーティング後、ぶわーーーっと思い出したのです。

私は6年目に生まれた子でした。
流産体質な母は、何度も悲しい思いをしたそうです。

やっと生まれた、6年目に授かった私。

記憶違いかもしれませんが、私が生まれたとき
「女か」と父が言ったとか、言わないとか。

跡継ぎ=息子

が強い時代だったので、男の子を希望していたのかもしれません。
記憶違いかもですが。

もしかしたら、
私はその時から自分が「女」であることが嫌だったのかもしれません。

それが変化して、
(ここらへんから、あっきーのサポートがあって気づけたこと)

「男なんて!」からの「男はクソ」と、
「女」である私が男性にマウントをとるという形になったのではないかと思ったとき

基本的に人を羨んだりしたことないのですが、
「社会で活躍できる男性」に嫉妬していたことに気づきました。

時代と思い込み。

間違いなく男性が働きやすかった時代でした。

今でこそ「女性起業家」なんて当たり前にいるけれど
私がハタチそこそこのころなんて、まだまだでしたもん。
セクハラもパワハラも当たり前にありましたもん。

で。
気づけたらこっちのもんで。

そこからまた一人で記憶の糸をたどりました。

「男だったらよかったのに」
と、勝手に思っていて、
記憶の糸をもっともっとたどると

物凄く、父に大切にされていました。

私が3歳くらいの頃。
「ステージにあがって、歌って踊ってたんだ。」
「三角パックの牛乳を買ってきてくれたんだ。」

この話、ずーっと聞かされていて
「で?」って思っていたのですが

今、大人になったし、親になって分かります。

すんごい嬉しかったんだろうな

わが子におきかえて想像しかできないけれど

息子が「ステージにあがって歌って踊って」たら嬉しいし、
息子ら「三角パックの牛乳を買ってきてくれたら」すんごい嬉しいし
世界一おいしい牛乳であることは間違いない。

嬉しくて何度も言ってたのは知ってたけれど、
「すんごい」嬉しかったんだろうな

というのと、
ちゃんとしっかり「愛されてた」と。

大人になって、くだらない話はたくさんしてくるけれど(ダジャレとか)
真面目な話はほとんどしないまま、お空に還っていった父。

愛情表現も、分かりにくいし
今ならわかる、シャイで不器用。言葉足らず。

でも彼の行動をみてたら分かる。
家族が大切だったこと。

知らず知らずに、
「男が継ぐもの」になっていて
「私は男じゃない」
「男だったらよかったのに」
でもなれない。
「いいよなー!男って!」
「うらやましい!」
からの「男なんかクソだ!」

になったようです。(ややこしい)

なれないモノになろうとして、勝手に嫉妬するとか
私、かわいいな(笑

それって、結局
「大好きな父の期待にこたえたかった」だけじゃん。

ややこしい父と、ややこしい娘。
私たちなりにお互いを大切にできていたじゃん。

と、思ったらスッキリしました。

で。「男はクソ」という思いが成仏したら
【現実が変わった】

これが、
思考が変わったら現実が変わるってやつ。
どうなったのかは、もうすんごく長くなったので、また今度。

「事務局サポート」だけなら、なんぼでも外注できる今の世の中。
ソコだけやってもらってもおそらく私のビジネス、というか人生は変わらなかった。

あっきー。
THE GAME おそるべしだね。
これ、私が父とやったGAMEだわ。

あ、そういやそんな話も前のBlogで書いたことあったな。
また引用します。


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