見出し画像

中秋の名月に。

昨日は中秋の名月
見上げた月が物凄く大きく感じて
綺麗に輝いていたので
多分、それにスイッチを押されました。


ツルツルしてピッカピカで輝いていて
そんな宝玉みたいに、まん丸な人になりたかった。
(あ、体形の事ではないです💦)

が、しかし
どうやら私はそうではなかったらしい
わりといびつでガタガタしていて
お世辞にもまん丸とは言えない。
(あ、実は…体形は丸めです💦)

傷だっていっぱいついていて
ところどころにヒビ割れだって入ってる。

どうして私はツルツルなまん丸じゃないんだろう?
そう思っていたけれど…


最近
世界の全部がツルツルなまん丸だったら
その隙間は、誰が、何が埋めるんだろう?
そんな疑問が湧いています。

無理に埋めようとしなくても、
その隙間こそが適度な距離感?

もしくは、まん丸には死角がなくて
存在自体で完全に満たされているから
隙間なんてあってもなくても関係ない?

それって素敵なことだと思う
本当に素敵だし、憧れます。

だけど、まん丸の素敵さが
ちゃんと見える、解かるようになると、
いびつな形にも味がある事に気付く


見つけるのは、難しいかもしれないけれど。
自分に欠けた所やいびつな所があるから
誰かのいびつな部分にピタリと出来て
自分の欠けた所に誰かの突出した所がピタリとはまる
そんな場所があるかもしれない

その欠けも、突出も、必要だから持ち合わせている
個性(才能)なのかもしれない。

他にも、アメーバーみたいにぐにゃぐにゃで
自分には軸がないって思っている人がいたとして…

さっきのまん丸な球体同士の隙間を埋めたいと思った時に
あなた以上にその隙間を上手に埋められる個性は
見つからないかもしれない。

もし、今、私と同じように
いびつな形を持て余している人がいるなら
いびつな形だからこそピッタリとハマる
そんな場所があるかもしれない可能性を
知っておいて欲しいなと思います。

いびつな自分でなければ
受け取れなかった、受け入れられなかった
そんな大切なものがある。
どれがいいとか悪いとかじゃなく
どんな形にもそれぞれに必要とされる
場所があるかもしれない。

誰かの形は自分の形を活かしてくれて
自分の形は誰かの形を活かす事が出来る。
そんな風に考えられると
今の自分がどんな形をしていたとしても
ちょっと自分の形が好きになってきませんか?

そんな問いかけのスイッチを
中秋の名月に推して貰えた気がします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?