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粗大ゴミの作り方・時空の歪みからの大学編【主観】

2020年(19歳)  浪人。

大学受験に失敗してしまった私は流れるように浪人となった。その浪人時代はまさにヤプーの体現であった。

予備校に入ったものの授業にはあまり行かず、行ったとしても何も学ばない無為な日々を送っていた。
模試を受けようと思っても当日遅刻するため必要な教科が受けられず、毎回測定不能を叩き出していた。

ただ時間を消費していた日々において月2回ほど高校時代私を洗脳した友人(浪人)とご飯を食べにいったり、芸能人が起こした事故現場に聖地巡礼しにいったりなどしていたおかげで塞ぎ込むようなことはなかった。

また音楽にハマり色々なアルバムを聴きはじめた。

とりあえず洋楽邦楽ジャンル年代問わず良いといわれているアルバムを聴き漁った。

特にKing CrimsonやRadiohead、ビートルズ、ゆらゆら帝国、betcover!!などの音楽に私は形成された。

またこの時予備校でできた唯一の友達がファッションに気を遣っており、彼と授業終わりに古着屋巡りなどをしていた。
そのおかげか自分もファッションに興味を持つことができたのでとても感謝しているが浪人生がすることではない。あと大学1年のときに貸した1000円早く返せ。

そしてこの浪人時代、ギターを買った。

高校3年生の時から色々な音楽を聴くようになり、ギターを弾きたい衝動を抑えきれなかった。

楽器屋さんで3万円くらいのギター、教則本、アンプなどを買った。その日から予備校など行かず、ずっとギターを弾いていた。最初に弾いた曲はスピッツのチェリーだった。

気がつけば共通テスト当日。
現役の時の知識のみで戦ったが、もちろんやってないのでただ受験しに行っただけである。覚えているのは帰りにGEZANというバンドの「狂」というアルバムを聴き衝撃を受けたことだけだ。

私を洗脳していた友人も同じ会場で共通テストを受けており、共通テストの試験会場で私立大学の赤本を解いていた。本人曰く「周りの受験生をビビらせている」らしい。

また私立大学の受験も始まった。
案の定何もしてないので受験当日に遅刻したりなどし、薄れかけている知識で受験を乗り越えた。いや、乗り越えてなどいない。ただ時間を潰していた。

もうこの時にはすでに2浪を決意していた私は中学、高校時代の友人たちとフットサルをした帰りにご飯を食べていると、母から電話がかかってきた。
「合格してるよ」と



なんにも嬉しくない。
ただ受験勉強という面では何も頑張らずに無意味に過ごしてきた人間が合格したところでそこに何にも感情は湧かない。

ただとりあえず合格したので「とりあえず行っとくか」くらいのノリで入学金を払ってもらった。

後日私を洗脳していた友人も同じ大学の同じ学部に合格し、入学することがわかった。
圧倒的親不孝ものだな。

2021年(20歳)  大学入学

大学入学した。
友達はできなかった。
大学ではサッカーと音楽をやりたかったので、フットサルサークルとジャズ部に入った。 

フットサルサークルは2021年に1年生が設立したらしくその行動力に驚いた。その行動力に見合った人物とその仲間たちであった。
つまり合わなさそう。
ただフットサルの練習をし、大会にでて、打ち上げに行く。そんな日々だった。
偶然だが中学高校一緒の友人(洗脳してきた人とは別)が大学でも一緒であることがわかり、彼もフットサルサークルに入っていた。
彼は私とは違い、馴染んでいた。微塵も男子校を感じさせない所作、立ち振舞いであった。こんなにも違うものかと思ったが、中学高校時代に私が気づけなかっただけで彼はずっとこのフットサルサークルに合う社交性を持っていたのだなと思った。そしてフットサルサークルに足を運ぶ回数がどんどん減っていった。

またジャズ部にも所属した。

顔合わせ初日乗ったバスが女子大行きだったので遅刻してしまった。初日からやらかしてしまった。
希望パートはドラムだった。
石若駿、Nate Smithという2人のジャズドラマーに憧れ、大学ではドラムをやりたかった。
結果ウッドベースを演奏していた。
当時ジャズ部にはウッドベース奏者がいなかったのでエレキベースが弾けると言ったらウッドベース奏者になっていた。
自己紹介の時間になった。学部学科、名前と担当パートを言っていった。
同じ学科の人はいないかなと聞いていると、同じ学科の人が2人いた。良かったと思ったが、裸眼だったため視界がぼやけており全くもって顔がわからなかった。
後日唯一私を認識している知り合いを通して同じ部活の人と挨拶をした。ただその時も裸眼だったので挨拶をしながらも視界はぼやけていた。

勉強面は最悪だった。
中学高校は進学校に通っていて友人達も良いとされる大学に入学していたのになんで一浪してこんな現役の時でも受かるような大学に通っているのだろうと私は不貞腐れていた。どこで泳ぐかよりどう泳ぐかが重要だと思っていても、根幹ではもっと良い大学にいけたのではないかと思ってしまう。
そのゴミのような不貞腐れ、わかっていても思ってしまう自分にまた悩み、嫌う。
そんな状態のやつが勉強なんか頑張るわけがない。前期のテストは全て再試だった。

そして1年が終わった。
頑張りたいけど頑張ることができない。そんな大学1年だった。面倒な性格になったものだなと思った。今少し良いようにまとめて書き連ねているのも嫌すぎる。
ただこの認めた文にすこし肉体性を感じられる。初めて書き起こす当時の心情に嫌になりながらもその文の温度に少しだけ救いが感じられた。いや勝手にこの文に救いを求めているだけかも。ただこれで少しでも救われたいというエゴしかないかもしれない。けれど書いて良かったと今だけは思いたい。

次回何にも覚えてない大学2年から今まで書きます。

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