見出し画像

文字通り「ノータリン」になった話part1

忘れもしない、2020年10月23日の金曜日。
世間はコロナ騒動の真っ只中。
私は倒れたらしい。

「らしい」ってのは、仕事終わりに車で駐車場を出て以降の記憶が全く無く、気付いたのは翌日の昼前。
日付を覚えていたのは、目が覚めた日に某イベントがあったから。

何が起きたのか全く分からない。
唯一、そこが病室だってことは何となく察したかな。
その時は本気でパニくったけど、
とりあえず心の整理をしなければと痛む身体を無理やり起こし鏡の前へ。
そこには左目尻に謎の縫合痕のある自分が映っていた。
眼鏡を見付けたが、左の蔓が折れていてかけられない。

その時、泣き崩れた妻が病室へ駈け込んできた。
なんとか落ち着いてもらい、何が起きたのか説明をしてもらった。

-----まとめると-----

・毎日仕事終わりにするLINEが来ず、妻がLINEを送っても既読にならなかった
・心配になり何度も電話をかけるも繋がらず
・夜遅くに知らない番号から電話があり、出てみると、行ったことのない病院の先生からだった
・その先生の話では、「職場から家とは違う方向に30分近く走ったスーパーの駐車場で車から降りて倒れ、見ず知らずの方が通報してくれた」
・「車を降りてから倒れたのは本当に運が良かった」
・夜中に妻の友人夫婦に、スーパーまで車を取りに来てくれ、私の飼っているペットも一時的に預かってくれた
・妻が作ってくれたお弁当にも手を付けていなかった

-----などなど-----

左目尻の傷は倒れた際に顔面から着地し、眼鏡が折れ、そのまま顔にブッ刺さったものだった。

現状を報告せねばとまずは職場に連絡したが、妻が先に連絡を入れてくれていた。

目が覚めた日はとにかくゆっくりと休み、翌日に担当医と妻と私で三者面談をした。
先生曰く、
「脳に悪性の腫瘍があって、てんかんを引き起こした。
グレード1から4でいうと“3”で、“4”になると生存確率は極めて低くなるし、
“3”でも助からない可能性は非常に高かったうえに、これから先、どれくらい生きていけるか分からない。
意識が戻ったことに驚いている。」とのこと。
先生が話している間も妻は泣いていたが、私はまだよく分かっていなかった。

参照元:https://plaza.umin.ac.jp/sawamura/braintumors/whograde/

コロナ禍ということもあり、妻や家族との面談もほとんど出来なかった。
下着やパジャマの受け渡しも看護師さん経由。
「話をする相手がいないと声が出なくなる」ってのを初めて実感した。

それからはCTを撮ったりMRIを撮ったり採血したり・・・
入院をして数日過ごし、担当医から話があった。
「手術をすることになったけどウチの病院ではその手術ができない。
〇〇大学病院に転院することが決定したから、紹介状を書きますね。」

そして、私は一旦退院した。

・・・転院後にあんな地獄を味わうなんて、その時は思ってもみなかったよ。

#てんかん #入院


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?