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息子からの手紙

 私には息子がいる。
 しかし息子は常に、変、だ。
 ベビーカーを転がして、逆さまになったベビーカーの車輪を延々と回して遊んでいるような子だった。

 二歳となっても他の子のように言葉が出ず、何か障害がと物凄く心配していた。
 その後、彼から言葉は出たが、彼の言葉は他の子のような舌足らずで終わらない、不明瞭すぎる赤ちゃん言葉だった。

 それでもこの子は赤ちゃんだからと、言葉が出た事だけを喜んだ。
 駄目な母親の私は喜んでいただけだが、息子である彼の方はきっともっと必死だったかもしれない。
 彼は他の子よりも早く文字に興味を示し、文字を書けるようになったのは早かった。
 天才児かも。
 当時の私は無邪気に喜んだが、彼はきっと文字で書いた方が自分の語る言葉よりも人に伝わると学習したからこそ、沢山沢山手紙を書くようになっただけのはずだ。

 幼稚園に入って最初の年は、自分で作った可愛いカードを持って帰ってきた。私たち夫婦はワクワクしながらサンタさんへの息子の手紙を開けた。

「おおきなかいちゅうでんとうをください」

 なぜそれが欲しい?
 私は首を傾げるだけだったが、夫は自分の子だからだと大いに喜んだ。

「照明家(あかりやさん)の息子だもんね!ピン欲しいよな!サンタさんじゃなく、パパが今すぐに買ってやるよ!」
※ピン 天井に吊るされたライトではなく後方から舞台上の役者に当てるスポットライトのこと。

 夫はクリスマス前に大型の懐中電灯を息子に選ばせて買い与えた。
 息子は赤ちゃん言葉で、ありがとう、と夫に大喜びして見せた。

「とれでじゅしんのそきもあんしんだね!(これで地震の時も安心だね!)」

 そういえば阪神大震災の復興について沢山テレビで放送されていたね。
 私たち夫妻は息子が賢いと喜んだだけで、赤ちゃん言葉についてはやっぱり気が付かなかった。
 気付こうとしなかったのかもしれない。

 彼はその後も手紙を書いた。
 それはそれで親の宝物になったが、今思い返せば、その時に気が付いて福祉センターなどに子供を連れて行って相談するべきだったのだ。

 手紙の数だけ彼は訴えたい喋りたいと思っていたはずなのである。

 だがその後、やはりか、幼稚園で言語障害を指摘され、そこから福祉センターなどに通い言語の療養を受ける事になった。私は以上の事を思い返して、母親失格だと泣いた。
 一番泣きたいのは、障害を克服しなければいけない息子自身なのに。

「でもこいつは頭はいいんだろ?大人になるまでにちゃんとした言葉を喋られるようになればいいんだよ」

「そうだよね。大人になるまでまだまだ時間はあるよね」

 夫がいて良かったと当時思った。
 その後も息子は手紙を書く。
 さきいかという名称を彼が知らなかったことで、ほねかじりたい、と書かれ、祖父母を巻き込んで全員で頭を悩ませたこともあった。

 次の年も、息子は幼稚園で書いたサンタさんへの手紙を持ち帰って来た。

「プラ〇ールのしんごうきがこわれたのでください。」

 私達は息子のおもちゃ箱を調べ、確かに彼の玩具の信号機がひしゃげているなと発見した。

「言えばいいのに。これこそ親に手紙書けよ」

「俺達に配慮?壊してごめんなさい、でもこっそりごまかすの的な?っていうか、こいつはサンタをパシリと勘違いしていないか?」

 その年もやっぱり夫がクリスマス前に信号機の玩具を買い与えた。
 ついでに、息子が変な奴と認識した男はそこを楽しむことに決めたようで、息子を名目に自分の欲しいテレビゲーム機を購入したり見逃したアニメ鑑賞などを息子とするようになった。
 だからか、次の年のサンタさんへの手紙は、ゲームのコントローラが欲しい、だった。

「あるでしょう?」

「びょたんがおがちい。(ボタンがおかしい)パパのもぼきゅ(僕)のも。」

「……お前らゲームのし過ぎだよ。」

 そんな息子も成長し、障害は克服しきれていないかもしれないが、成長した分、自分が綺麗に話せる単語を使って言葉を話す裏技も習得している。

 高校も無事に卒業し、大学生にもなったのである。
 ホッとしたその数年後、彼はやっぱり親に手紙を書いた。

「書類にサインをお願いします」

 書類は大学の退学届けだった。
 直接尋ねると、彼は自嘲する笑みを見せながら答えた。

「僕は理系の人じゃなかったみたい」

「三年になったそこで気が付くか?そこは受験時に自問しとこうよ」

 理系を極めさせれば日常生活や人間関係の構築が苦手でも生きていける、私はそう考えて彼に理系の道を推していたが、彼はやはり私の子、それほど頭はよくできていなかったようだ。
 何とか三年まで上がったが、その間に大学が辛いと休学もしていたのだ。

 仕方がないねと退学届の保護者欄のサインは埋めた。
 その半月後、息子あてに辞めたはずの大学から書類が届いた。
 どう見ても大学入学書類の入った大袋である。
 普段だったら開けないが、大学の入学式が近い三月中旬のため、私は勝手に封を開けた。

「英文科合格しました。三月十八日までに入金なければ入学辞退となります」

 猶予が三日しかないじゃない!

 私は慌てて息子に連絡した。
 どういうことですか、と。

「あ、受かってた?そうか、理工学部の学部の退学が教授会で確定するまで合格を保留にされていたのか。僕はやっぱり英語が好きなのです。英文科を受け直していました!」

 日本語と違い、文字を見るだけで相手の意図が見える言語。
 自分の気持ちや状態を簡単に表すことが出来る言語。
 僕は英語だと間違えない。

 英語が好きな理由を教えて貰った時の息子の言葉だ。

 私は夫に連絡を取り、息子が辞めたはずの大学に入学金を収めた。
 夫がいて良かったな、そう思いながら。
 
 そして今年の四月、彼は遅い自立を果たした。
 就職をし、自宅を出て会社の寮へと引っ越して行ったのだ。
 親に引越し先の住所も教えずに。

 そんな彼が五月の末に一泊だけ帰って来た!
 それだけでなく、メールをくれたのだ。同じ家の中にいるのに。

「携帯ゲーム機のリチウムバッテリーが膨らんで危険ですのでベランダに出しておきました。早急に処理した方がいいです」

 ……息子め。

 ところで、いまだに息子から新住所について教えてもらっていない。
 これは親から逃げたいと受け取るべきなのか、悩む。

※大学八年ルールというものについて追記します。
それは、同じ大学には八年しか在籍できない、という時代が変わろうがある縛りです。
息子は休学したりしてました。
そこで私は息子が同じ大学に通うに際し、その大学の学生課に問い合わせたのです。
「通っている最中に八年が来ちゃったら退学ですか?」
「学部の移動でしたらそうなりますが、受け直すことでクリアになっていますので大丈夫です。息子さんはこれから八年通えますよ!!」
「縁起でもない事言わないでください」

英文科はちゃんと四年で卒業できました。


タイトルの絵は水族館でピース下息子の後ろに、ミノカサゴ!!な、絵でした。美化してます。