神戸は電車がよく止まる

神戸は人身事故でよく電車が止まる。線路に自動車が入ってしまって・・・なんてこともある。止まるのはJRが多い。電車と人が接触というのは2通り考えられる。意図的な接触と意図しない接触。

そもそもあってはほしくないが、意図的な接触は本当にやめてほしい。理由は何であれ、とにかく他人を巻き込まないでほしい。やるならせめて影響の範囲を自分だけにとどめてほしい。

意図しない接触にも原因はある。近年ホームドアや柵の設置、ホームの椅子の向きの工夫がされていることから明らかである。

神戸市内、市営地下鉄沿線在住、地下鉄利用通勤の私が思ったこと。それは、結局のところ利用者のマナー、モラルの問題。私の最寄り駅だけのことかもしれないが、地元や学生時代に住んでいた街ではなかったことが日常的に起きている。

まず、乗降口の前に整列する文化がない。たしかに整列乗車用の線は引かれていない。それでも乗降口が分かるような印は付けられている。俗に言う黄色い線の内側の一番手前に立つわけでもなく、かといって椅子や自販機の並ぶホームの最後部の待ち合いスペースにいるわけでもなく、その中間、まさしくホームのど真ん中の通行スペースの中途半端な場所に立っている者。一体どういうつもりなのか。並んでいるのか並んでいないのかもわからない。そういう人間が一人いると、それに続く者はその後ろあるいは別の場所に立たざるを得なくなる。その結果ホームには秩序のない人の群れができてしまう。乗車の意図を示すためにも、線の内側の先頭から列をつくるべきである。

きちんと整列していたとして、第三の列を作る者もいる。通常、乗降口の左右に一列(ないし二列)ずつで整列するのが一般的かと思われる。そのもう一つ外側に第三の列を作る者がいる。どういうわけか。内側の列の先頭の者とドアとの間を縫って車内に乗り込もうという魂胆なのか。いい年して列に並ぶ、割り込んではいけない、一人ずつ前から順番、という保育園児や幼稚園児でも分かることができない大人がいることに呆れる。

あとは、相も変わらず駆け込み乗車が絶えない。毎日目にする。目の前でブザーが鳴り、ドアが閉まっているのに遠くから駆け込んでくる者。どう考えても間に合わない距離。エスカレーターを駆け下りてくる者も。そもそもそんなに急ぐなら発車時刻に間に合うように家を出ればいいだけのこと。逃しても神戸市営地下鉄なら6~8分で次がくる。たまたま目の前にいただけの電車に乗ろうと必死になる意味とは?と毎度のことながら思う。目の前で発車しようとしている電車に間に合うか間に合わないかでハラハラするくらいならあと1分でも2分でも早く起きて早く家を出る方がはるかに精神衛生上いい。

また、黄色い線の外側(線路側)をわざわざ通る者もいる。何のために「駆け込み乗車をやめるように」、「黄色い線の内側を歩くように」としつこくアナウンスがされているのか。事故が起きているから。度々ニュースにもなっている。本人からすると自分はそうはならないという意識なのだろう。結局、事故を起こすのはそういう当事者意識の欠けている者。皮肉にもうまいことできてるなと思う。

世の中の仕組みがあまりに利用者有利になりすぎているようにも思える。これだけ鉄道会社がアナウンスしているにも関わらず、線路に転落したり、電車と接触したり、ドアに挟まれたり、ということが起きれば鉄道会社が少なからず責任を問われ、まるで悪者かのように報道もされる。しかし、よく考えてみれば、よほどの不慮の事故を除いて、これまでに述べてきたような事象に対して鉄道会社側はできる範囲の対策を講じているわけで、それでも起きてしまった原因と責任は利用者側にあるといってもいいのではないか。近年の歩行者vs自動車、自転車vs自動車の事故にも同じことがいえる。あまりに歩行者と自転車が優位すぎる。横断歩道のないところを渡った歩行者は罪に問われない。急に飛び出してきた自転車ではなく制限速度内でまっすぐ走っていた自動車が悪者にされる。

暴論極まりないが、エスカレーターを駆け下りる奴は転んで怪我すればいい、駆け込み乗車する奴はドアに挟まってつぶされればいい、変な場所を歩くやつは線路に落ちて轢かれればいいと思っている。しかし、実際に起きれば迷惑を被るのはまた周りの他の客。鉄道会社も万が一怪我を負わせたら責任を問われるので、無理な発車はできない。その優しさが仇になっているようにも思える。世の中もっと自己責任にしていけばいい。自業自得でいいと思う。そもそも気を付けている人はそれなりの行動をしている。何事も真面目にやっている人間が損をするのはおかしい。馬鹿が馬鹿を見ればいい。そういう世の中になれば利用者の意識も変わっていく気がする。

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