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ホラー短編 凄腕の売り子

「おはようございまーす! 試食コーナーの派遣の鈴木でーす。よろしくお願いしまーす」
 スチロール製のクーラーバッグを肩から提げた中年女性は、社員通用口の扉を開けると受付の警備員に挨拶をした。
「ああ、鈴木さんおはようございます。じゃあコレね」
 警備員は挨拶をしてきた中年女性に “業者” と記入されている名札を手渡した。

 鈴木晴子は派遣会社のパート社員のエースだ。ベテランの域に達していることもあるが、人の心を初見で掴む天性の才能がある。彼女が派遣された日は、売り出す商材が毎回完売している。当然、我がスーパーエブリの売上も彼女の担当商材分は堅い。店にとってとてもありがたいことで、出来ることなら常駐していて欲しい存在だ。

 鈴木は受付で受け取った名札を首に掛けて、女子更衣室に向かった。
「あ、室井さんおはようございまーす!」
「あ~鈴木さん! 今日は鈴木さんの日なんですね。宜しくお願いしますぅ」
 加工食品担当の室井は、スーパーエブリの女性社員だ。主に缶詰、乾物、レトルト食品、調味料を任されている。

「今度は私のところもお願いしますね。鈴木さんが試食やってくれると何でも売れちゃうから、鈴木さんが来るときは粗利のいいやつで依頼を出しときますからぁ」
 鈴木はスーパーエブリの社員から絶大な信頼を得ている。何を売っても完売させる能力で、鈴木はもはや生ける伝説の存在だった。
「はーい! よろこんで。今度室井さんの商品売る時は気合い入れて売りますよー。ちゃんと多めに発注しといてくださいねー」

 加工食品の室井と軽く雑談を交わしたあと、鈴木は割烹着のユニフォームに着替えた。頭に三角巾を巻き、首に “業者” の名札を掛けて売場に出る。
 精肉コーナーと調味料コーナーの中間に小型のテーブルを出し、備品庫からホットプレートと延長コードを持ち出し売場にセッティングした。
 長年担当して勝手知ったるスーパーエブリなので、作業はスムーズだ。

 ホットプレートを220度に設定し、スチロール容器から予め小型にカットしてある肉を取り出して乗せる。片面をレア程度に焼いたらひっくり返し、裏面も同じくらいの時間で仕上げる。全体的にミディアムになるくらいが焼き上がりの理想だ。薄目にスライスしてあるので熱は十分に通るし、味も変性し過ぎず流れ過ぎず、理想の味に留めておける。
 焼き上がった肉を醤油皿ほどの銀色の発砲容器にのせて焼き肉のタレをかけ、爪楊枝を刺せば試食品の完成だ。

 ジュージューという音と肉の焼ける匂い、そして無料ということもあり、焼き肉の試食は特にこれといったテクニックが無くとも人が寄りやすい商材だった。
 これを鈴木が担当すればさらに効果は絶大だ。鈴木はエブリの社員でこそないが、ちょくちょく試食コーナーを請け負っているので常連客は彼女の存在と腕前を承知している。彼女の担当する商品は試食して美味しく、買って美味しい信頼があった。
 鈴木が試食コーナーに立つと人は絶えず寄り集まってくる。関連する精肉コーナーでは肉と、調味料コーナーでは焼き肉のタレを買い物カゴに入れていく客が自然と多くなっていた。

「今日はいつもより増して凄いな」
 店長の安藤が言った。
「本当に。こんなことなら焼き肉のタレ、もっと発注しとくんだった。今日一日でかなり出たから、多めに発注しておこうっと」
 加工食品の室井が返す。
「明日も余波で普段より出そうだし、そうしておいてくれ、頼むよ」

「お疲れさまでしたー!  じゃあ私、これで上がりますねぇ」
 午後一時から始まった試食コーナーは、二時間少々で在庫が切れて終わったようだ。
 大抵用意した品物が掃けるか、品物が残っていれば試食の定時の午後七時までコーナーは続く。品物が売り切れば仕事はそれまでとなり、派遣のパートは帰っていいことになっていた。早上がりとなっても午後七時までの分の時給は支払われるので、早く上がれるに越したことはない。凄腕の試食担当の鈴木はいつも品物を売り切り早上がりで帰っていた。スーパーエブリに派遣されて以来、鈴木が定時まで残っていたことはなかった。

「いやぁ今日の鈴木さん流石だったよな。三時で完売って新記録じゃない?」
 精肉担当の下田が言った。
「ねぇ~、おかげでウチもタレがかなり売れましたよ。下田さんもっと肉の試供品用意してあげても良かったんじゃないですか?」
「そうだよなぁ、でも今日ってウチからの依頼だったっけ?  なんか鈴木さんに肉の試供品渡した記憶ないんだけど」
 スーパーエブリでは試食コーナーが企画された場合、販売される売り場が試供品を提供するシステムになっていた。焼き肉のタレの販促ならばタレは加工食品の室井が用意し、肉の場合は精肉担当の下田が用意するといった具合だ。
「今日の依頼って加工食品からだろ?  タレの販促だったんじゃないの?」
「え?  ウチじゃないですよ。精肉の依頼でしょ?」
「いや始まってから試食あるのに気付いて、なんか焼き肉やってるけどウチは依頼出してないし、加工食品の依頼かと思ってたけど……」
「ええー、加工食品じゃないですよ」
 下田と室井は顔を見合せた。
「そういや今日、鈴木さんスチロール製のクーラーバッグ持って来てたよな。ウチの店は試食サンプルは原則全部店で用意することになってるはずだし、なんか変じゃない?」
 二人は奇妙な点に気づいて不思議に思った。
「そういや俺も今日試食やるなんて把握してなかったわ。もしかすると他の店でやる予定のところを、間違えてウチに来ちゃったとかかもしれないな」
 店長が二人の会話に割って入った。
「あ、それかもしれませんね。どうします?勝手に来たとしても、ウチとしては普通にありがたかったから報酬出してもいいと思いますが」
「そうだな。他の店には悪いけどウチとしては助かったし、なんにせよ良かったよ。明日派遣会社に事情を確認してみるわ。分かったら明日のミーティングで報告上げるよ」
 店長がそういって試食の件は翌日に繰り越されることになった。

「ただいまー」
 返事はなく、浴室から水の流れる音がする。どうやら妻は風呂に入っているらしい。
 エブリの店長の私は、店舗から歩いて200mほどの賃貸アパートに妻と二人で住んでいる。スーパーエブリの系列店は北関東エリアにしかないが、往々にして転勤はある。私はできるだけ店舗から近い場所の物件を選ぶようにして、有事の際にすぐに対応できるようにしていた。
 玄関で靴を脱ぎ、ダイニングまで直行する。カバンを下ろしスーツの上着を脱ぎ、ネクタイをほどいた。

 時刻は午後九時五十分。
 残務処理が長引いてしまい、思いの外遅い帰宅になってしまった。
ダイニングテーブルには夕食が用意してあった。ご飯と汁椀と、キャベツがつけ合わせの豚の生姜焼き。小鉢は大根おろしがのった卵焼きだ。
 今日は鈴木さんの試食があり、すっかり肉の口になっていた私にとって豚の生姜焼きはありがたいメニューだった。
 私は鍋の味噌汁を火にかけ、生姜焼きをレンジで温めた。
 食卓に夕食の用意が整い、私はテレビを見ながら食べようとリモコンのボタンを押した。
 九時から十時になる時間またぎの時間帯なので、メイン番組のない短いローカルニュースの時間だった。

 こんばんは。○○ニュースの時間です。
 本日午後七時頃、✕✕市で女が夫を刺したと警察に出頭しました。
 容疑者の女は市内に勤めるパート従業員の鈴木晴子(57)で、昨晩口論になり、夫を刺したと警察に自供しています。
 女の自宅では男性の遺体が損壊された状態で見つかっており、警察は死体遺棄の容疑も併せて捜査しています。

 画面には鈴木さんのフルネームと年齢がテロップで映されていた。

 遺体が損壊された状態●●●●●●●●●●……。

 勝手に店に来て焼き肉の試食品を提供した鈴木さんに、損壊された旦那の遺体……。私は吐き気を催しトイレに直行した。



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