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短編小説 二世信者の決意


※この物語はフィクションです。実在の団体・人物とは一切関係ありません。


 物心がついた時には、私はヤハウェの証人というカルト宗教の信者になっていた。
 もちろん自分の考えで信者になったわけではない。親がヤハウェの証人の信者で、両親の教育により信者にさせられていたのだ。
 幼少の頃まで自分は普通の子どもだと思っていたけど、実際は普通ではなかった。

 初めて違和感を感じたのは小学校の入学式で、国歌斉唱のプログラムがまわってきた時のことだ。式の前に、私は母から国歌は歌わないようにと強く言いつけられていたので、心構えは出来ていたはずだった。

「沙希ちゃんいい? 司会の人が『それでは、国歌斉唱』って言っても、あなたは座ったままで立たなくてもいいからね。もちろん歌ったりしちゃダメよ。あの歌は、悪魔サタンの誘惑の歌なの」

 母に厳しく言いつけられていた。私は母に言われた通り、国歌斉唱の時には立ち上がらなかった。「周りの人はほとんど立って歌うと思うけど、つられて立ったらダメよ。立たない人、歌わない人は少ないけど、あなただけじゃないからね」

 母の言葉が頭にあったので立ち上がらなかったが、それでもいざ本番となって "起立" の掛け声のあと周りのクラスメートたちが一斉に立ち上がった様子を見ると、一人取り残された私に違和感が生まれた。
 ピアノで前奏が弾かれ、私以外のみんなが歌い出した。歌詞は体育館のステージ横の壁、やや上のあたりに掲示してあり、歌詞を知らない新入生たちの目線は、歌詞を追っているようだった。
 "なんでみんなが当たり前に歌っている国歌を私は歌っちゃダメなんだろう。みんなはサタンが怖くないのかな"
 小学校の入学式で、生まれて初めて覚えた感覚だった。

 私は在学中、学校で催されるイベントにほとんど参加しなかった。周りの同級生たちは、年中行事に不参加の私を訝しんでいるように見えた。みんなと同質ではない私は自分に自信がなくなっていき、だんだん引っ込み思案の性格になっていった。クラスメートは暗い性格の私に関心を示さくなり、私はクラスで孤立した。
 昼休みと年中行事のイベント中と、体育で競争や試合のある時間は、私は一人で図書館で過ごしていた。私は小学三年生まで、両親から戦闘描写がある漫画や児童書を読むことを禁止されていて、素直だった私は律儀に言いつけを守っていた。四年生になると、監視がない図書館で何の本を読んでいてもバレっこないと思いいたり、図書館の蔵書はジャンルを気にせず読むようになった。五年六年は教養を身につけようと、少し背伸びをして近代文学なども読んだ。
 私の学生生活は中学に入ってからも変わらなかった。親は学校側に私の宗教と戒律を伝え、国歌斉唱や年中行事に参加させないように厳命していた。相変わらず私は孤立し、授業と短い休み時間以外は図書館で過ごした。
 私にとって図書館で過ごすことは辛いことではく、むしろ充実した時間だった。図書館には様々な本があって、この場所で世界は大きく広がった。
 哲学、歴史、言語学、社会学、自然科学、文芸など、好奇心の赴くままに多種多様な本を読んだ。ヤハウェの証人には聖書以外の教えを積極的に学んではいけないという戒律があったけど、私は気にせず宗教学の本も他の宗教の本も読んだ。中学生にはいささか難しかったけど西洋哲学や東洋思想にも触れ、仏教や神道や儒教、ゾロアスター教やマニ教や新興宗教などの本を読んだ。中学校の図書館なので蔵書数は大したものではなかったが、それでも私は貪欲に知識を求めた。今にして思えば、この頃の私はすでに自分の中でヤハウェの証人を見限っていて、否定するためにさまざま知識を欲しがっていたのだと思う。
 やがて私は高校生になったが、高校でもやはり小・中学と同様に図書館を拠点に過ごした。さすがに高校の図書館は蔵書のレベルが上がって、中学校の図書館より一般向けの本の割合が多くなっていた。ここでも私は幅広くいろいろな知識を吸収した。

 私はずっと周囲に馴染めず孤立していた。原因は、周りの人と違う性質の私が、自分に自信が持てなくなっていたからだ。自分の信仰が正しいと思うならば、堂々と胸を張っていればいい。けど、ヤハウェの証人は物心がつく前から教えこまれていただけに過ぎない。他の宗教のことを知らないままの、浅学な状態では自分に自信を持てるはずはない。私は図書館という根城で、他の宗教や思想を学び、世の中のいろんな理を学び、出来るだけ広い視野と深い知識を身につけたかった。
 ヤハウェの証人に問題がないのならそれでいい。けど、ヤハウェの証人の視座だけではヤハウェの証人を客観視することは難しく、信仰が正しいかどうかの判断がつかない。自分の信仰を知るために、私は比較対象となる他の宗教や比較分析をする知識が欲しかった。そういった理由で私は小・中・高の学生期間、一人で図書館に通いつめていたのだと、高校生になって自覚した。

 やがて私は大学生になった。大学は有名な国立大に奨学金を借りて授業料を払った。ヤハウェの証人では学歴が評価されるわけではなく、伝導にどれだけ時間を費やしたかで信者としての評価が決まるシステムだ。両親は進学に反対していたが、私はどうしても大学に行きたい気持ちがあったので、キャンパスで布教に励むという約束を取り付け、なんとか入学の許可をもらえた。私は入学早々にバイトを始め、親からの仕送りを早い段階で断っていた。
  生活費を稼がねばならない私は夏休み中もバイトのシフトをフルに入れ、なかなか実家に帰省しようとは思わなかった。
 前期が終わって夏休みに入ったが、私はバイトと勉強に時間を費やした。しかし休みも終盤に差し掛かり、私は覚悟を決めついに実家に帰ることにした。前々から考えていたことだ。大学生になって自活できるようになったら決着をつけようとしていた問題だ。

 実家への帰省は一泊二日の予定だ。
 今日は木曜で、二日目の明日が金曜だ。第一日目に木曜を選んだのには理由がある。今日が集会の日だからだ。
「沙希が集会に顔を出すのは久しぶりね。志藤さん喜ぶわよ」
母が言った。志藤さんは家族が通っているヤハウェの証人の支部の指導者だ。
 集会のある会館まで車で二十分はかかる。私は移動の間、これから集会で話そうとしている内容を頭の中でシミュレーションした。今日は私の人生のターニングポイントだ。

 今日の集会は指導者の講話と座談会だ。座談会は講話のテーマに則した内容で話し合ったあと、各々の伝導活動の報告や、ハルマゲドンの後に千年王国に行ったらどう過ごしてみたいか等、とりとめのない会話の時間がある。はっきり言って集会は、信仰心が全く無い私にとって退屈で無駄な時間だった。集会には必ず参加しなくてはならず、中三と高三の受験生の身分だった時など、勉強時間を奪われて本当に恨めしかった。
 両親は娘の受験よりも宗教活動の方が大事で、というより宗教活動を他の何より大事にする人間で、信者以外の人間からすれば呆れるような精神構造だった。

「それではそろそろ活動報告にはいりましょうか。けどその前に、沙希さんお久しぶりですね。東京の大学に入られたそうですが、東京でも集会には参加されてますか? 大学でも伝導に努めると聞いてますが、順調でしょうか?」
 志藤さんが私に話を振ってきた。ずっとこの地区の集会に参加していて、子どもの頃からつき合いがあるのに、私の大学生活より宗教活動の方が気がかりなのか。やはりヤハウェの証人は世間一般の常識からずれている。いや、閉じたサークルでばかり意見交換をしているせいで、社会性が弱いのだ。まったく、虫酸が走る。
「お久しぶりです志藤さん。ええ、実はそのことで伝えたいことがあり、今日は久しぶりに集会に参加しました」
 一呼吸おいて、私はついにずっと言いたかった言葉を口にした。
「今日をもって私は、ヤハウェの証人を離脱します」

 志藤さんは少し目を見開いて私を見た。驚いているようだが、それ以上に臨席している両親が口を開けて驚いていた。少し間があき、母が口を開いた。

「なに言ってるの沙希ちゃん! そんなのお母さん聞いてないわよ!」
「うん、ここで初めて言ったから。ていうか私、ずっとヤハウェの証人が嫌で辞めたかったんだよね」
 私の唐突な離脱宣言に同席の信者たちは少なからず動揺しているようだった。その中で両親は怒りを顔に滲ませていた。ずっと同士として歩んできたと思っていた娘に裏切られたと思っているのかもしれない。みんなの前で娘が離脱宣言をしたことで、面子が潰れたという思いがあるのかもしれない。
「そうですか、残念ですね。ですが私たちの信仰を離れるということは、神の加護を失うということです。これからサタンが沙希さんを攻撃してくるでしょうけど、もう覚悟はお決まりですか?」

 志藤さんが口を開いた。この手の問答は覚悟していたので、私は用意していた言葉で答える。
「ヤハウェの証人では組織に属している間は神がサタンから守って下さり、組織から離れると悪魔から攻撃を受ける、という考えがありますが、そのシステムは信者を維持するための、脅迫です」

 志藤さんの表情が一瞬強ばったが、すぐに柔和な表情に戻り、言葉を返す。
「いやぁ参りましたね、脅迫かぁ。沙希さん、ヤハウェの証人に脅迫なんて意図はありませんよ。神ヤハウェは信仰する者を救ってくださるのです。信仰を揺るがせ、神を軽んじる者は救いから洩れるのは必然、というだけの話ですよ」
 信仰の中にいる人からすればそうでしょうね、と私は心の中で呟いた。私は話を続ける。
「ひとつお伺いしたいのですが、ヤハウェの証人では他の宗教を積極的に学ぶことを禁じていますが、それは正しいことだと思ってますか?」
「沙希さんがご存知の通り私たちは神ヤハウェに忠誠を誓っています。ヤハウェの言葉は聖書に記してあり、聖書に全ての正しい教えがあります。忠誠を誓った人間が、正しい教え以外の教義を学ぶことは不必要ではないでしょうか? 他の宗教の教義を学ぶ時間があるならば聖書の研究に充てる方が有意義ですし、聖書の研究と理解は私たち信者が為すべきことです」
「志藤さんは音楽がお好きですよね。確か70年代のフォークソングがお好みだったかと。以前、"やっぱりフォークは最高ですね" と発言されたことを記憶しています。フォークソングが好きな人がフォークソングばかり聴いていて、それでフォークソングの良さが正しく理解出来るのでしょうか。音楽にはいろんなジャンルがあります。J-POPもジャズもヒップホップもロックもクラシックも。他のジャンルの音楽を知らない、或いは音楽そのものについて学んでいない人がフォークソングだけを聞いて、"フォークが最高" と主張するのは無理があると思います。他の音楽を知らないのに、なぜ最高と言えるのでしょう」
 志藤さんの表情が険しくなった。明らかに敵意が宿っている。
「沙希ちゃん! 志藤さんになんて失礼なことを言うの! 謝りなさい!」
 母がヒステリックに叫んだ。私は動じない。
「お母さん、ヤハウェの証人の信者の構成比率は知ってる? 男性と女性で、男性信者が約三分の一、女性信者が三分の二で、女性の方が多いんだよ」
「それがなんだっていうの」
「学歴は高卒の比率が高くて、半分以上は高卒なんだって。他の宗教と較べると、平均的に教養レベルが低いよね」

 母の顔が赤みを帯びた。母は高卒だ。
「話を戻します。ヤハウェの証人が組織内での信仰や思想を話し合い、分かり合うだけでは自分たちを客観視することができません。聖書聖書と言っていますが、教養レベルが低く偏った思想と偏った思考の信者がどんな
に聖書解釈に励んだって、独自解釈の歪んだ信仰に陥るだけです。聖書の意図を正しく解釈して理解を深めるためにも、他の宗教を学んで自分たちの解釈を客観視することは大事なことです。他宗派ないし他宗教の信仰が分からないのに、なぜ自分たちの信仰が正しいと言えるのでしょうか。そんな視野の狭い人たちが自分たちは正しい、他の宗教の教えは間違っていると言ったところで、自分たちの信仰を正当化することはできませんよ」
 父がカチャカチャとベルトを外し始めた。昔から私を物理的に攻撃する時はベルトを鞭替わりにして叩いていた。
 ヤハウェの証人では子どもに対する折檻は容認されている。教義をなかなか覚えられなかった時によく叩かれたものだ。父はいま、怒りで周りが見えていないのだろう。衆人の中なので抑えているようだが、今すぐにも私を折檻したいに違いない。

 気にせず私は続ける。
「志藤さんと信者のみなさんは、原理主義の概念はご存知でしょうか。イスラムの特定の宗派や、日本だと仏教の日蓮宗にその傾向があります。例えば仏教の経典で蓮華経という経典がありますが、蓮華経は仏教のどの宗派でも、最高の経典とされています。最高の経典であまりにも素晴らしい内容なので、蓮華経を絶対視し蓮華経のみを身につけ守れば良いとしたのが日蓮宗です。ひとつの真があれば、その他は偽であるという考えです。複数の真の存在が成立しない状況だとこのロジックが成立します。原理主義では真の教えが複数あるはずがないので、他の教えは間違いであると考えます。そして自分の信仰のために、他の信仰を攻撃します。ヤハウェの証人では争いを認めていないので攻撃こそありませんが、その構造は原理主義です。自分たちを真と思い込んでいるので、他の宗教に対し不寛容で知ろうともしません。実際には他の宗教にも他の様々な思想にも、素晴らしい教えがあり、学べば思想も思考も豊かにしてくれるのに」

 志藤さんと両親は厳しい目で私を見つめている。他の信者には動揺を浮かべた表情の人もいる。
「比較対象を認めずに自分たちの素晴らしさを誇ったところで、その素晴らしさの価値は証明できません。物知らずが物知りぶる姿は見ていて滑稽です。さらに……」
「沙希ちゃん! もう止めなさい! お父さん貸してっ」
 母は父の手からベルトを奪い、振りかぶった。革製のベルトが私の右肩を通り越して背中を打った。衆人の前にもかかわらず。

 バシンッ。
 強い痛みが背中に発生した。今まで何度も行ってきた動作だけあって、さすがに鞭の使い方が上手かった。しかし私も打たれ慣れている。痛いことは痛かったが、この程度なら我慢できないことはない。
「育て方を間違ったわ」
 母が言った。本当にその通りだと思った。母は育て方を間違っていのだ。今までずっと。

 私は軽く笑みを浮かべながら続ける。
「皆さん、エコーチェンバーという言葉は知ってますか? 情報や信念が組織内で反復されて強化、増幅することです。個々の信念や情報が同じ属性の集団内で繰り返されたり強調されることで、その情報や信念が強化され、同調が生まれやすくなります。ヤハウェの証人は同じような性質の人が集団となっているので、集団内では似たような意見ばかりが反復し強調され、同調を生んでいるんです。小集団の常識は広い社会では得てして非常識ですし、カルトな思想は一層カルトが強化されます」
 一呼吸おいて、私ははっきり言った。

「ヤハウェの証人はカルト信者が集団となったカルト宗教です。私はずっと嫌いで、ずっと離脱したかった。奨学金で大学に進学して、生活費はアルバイトでなんとか生計をたてられます。もう私はカルト宗教に縛られたくありません。だから離脱します」
「沙希ちゃん! 神ヤハウェに謝りなさい!」
「お母さん話聞いてた? 本当に外側からの意見は耳に入らないんだね。だからカルトなんだよ、お母さん」
 母と私のやり取りを見かねて志藤が間に入った。
「沙希さん、お話はよくわかりました。残念ですが、私たちとは同じ志を持てないようですね。今まで献身的に神ヤハウェにお仕えされていると思っていたのに、本当に残念です。神ヤハウェはハルマゲドンから救う人数を限定しています。平和な千年王国の住人となる機会を棄ててしまわれるとは、嘆かわしいことですが…」
 また脅迫の論法だ。私はウンザリした。

「あなたたちの神は少数しか救わない、愛情に限界がある心貧しい神なのでしょう。私はあいにく、そんな神は認めません。私には、あなたたちの神は人を惑わす物の怪に思えます。
 ヤハウェの証人の信者のみなさん、全知全能の神は少数しか救わないような、心の狭い存在なのでしょうか。どうか自分の頭を使って考えてみてください。自分の頭で考え抜いた末、それでも自分たちのイメージする神が正しいと思うなら、それはあなたたちにとって正しい神なのだと思います。けど、私の信じる神は違う。私の信じる神には無償の愛があって、その愛は無限です」

 志藤さんと両親の表情は険しく、目には憎悪が宿っている。こんなに憎しみを宿して、何が愛の宗教なんだろう、と思った。
「言いたいことは言いました。あとは信者の皆さん、心療内科の受診をお勧めしておきます。それでは失礼します」
 そう言って私は会館をあとにした。

 心が晴れ晴れとした。まるで憑き物が落ちたみたいだ。いや、私は本当に私は憑き物に憑かれていたのかもしれない。
 あの宗教の神は神などではなく、妖魔の類いなのではないかと思った。
 まだ私は大学生だ。人生をやり直すには遅くない。これからは変な神になど頼らず、自分の足で歩いていこう。自分の道は、自分で選んで決めるのだ。
 信教の自由というのは、嬉しいものだなと私は思った。




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